2005年11月10日
小泉靖国参拝で孤立する日本
小泉首相は、衆議院議員選挙の圧勝の余勢を駆って靖国参拝を強行した。平服で、本殿でなく、一般の参拝客と同じく、神社入口の拝殿前で賽銭を投じて合掌、その間わずか5分、いかにも姑息な、小雨のなかの「強行」だった。直前の大阪高裁の違憲判決、中国・韓国の反発を配慮したことは疑いない。
しかし、記者会見でも、その後の党首討論でも、「心ならずも戦場に駆り出され、命を落とした兵士に哀悼のまことを捧げて何が悪いか」と従来と同じセリフを繰り返し、開き直った。「合祀されているA級戦犯に参拝しているのではない」と首相はいう。しかし日本の首相が5年連続で靖国神社に参拝した事実に変わりはない。
新聞各社の世論調査では、賛否が逼迫し、国論は分裂しているが、それでも僅かながら、どの調査でも参拝支持が上回っている。小泉氏の「ぶれない姿勢」に共感しているようだ。しかし問題は、日本が近隣のアジア諸国に対して侵略者・加害者だったという意識が国民全体に希薄になっていることだ。
扶桑社版「新しい歴史教科書」の採択率は、前回が0.03%、今回も0.1%にとどまる見通しだが、戦後60年を経て、底流としては、侵略と加害の事実を否定し、隠蔽する“開き直り”が日本国内で勢いを増してゆくだろう。
しかし、中国と韓国が今後も歴史認識をめぐって対日非難と攻撃の矛先を弛めるとは思われない。「足を踏まれた」被害者は容易にその痛みと屈辱を忘れるものではない。日本国民が、彼らの痛みを分かち合ってはじめて未来志向の共存共栄関係が生まれるのだ。
12月にはクアラルンプールで初の「東アジア・サミット」が開かれる。ASEAN(東南アジア諸国連合)の地域統合を着実に進み、日中韓の相互依存関係も経済・貿易面では強化されているが、政治的には日本だけが孤立した状態にある。そんな状況下から「共同体」意識は生まれない。米国も陰に陽に“妨害”してくるに違いない。
そうしたなかで、北朝鮮が首相の靖国参拝を強く非難せず、批判的論調の中でも首相を「日本の執権者」と間接的に呼んだ点が注目される。小泉首相在任中の日朝国交正常化実現に期待していることの表われであろう。首相も、拉致問題で政治決着に踏み切るためにタカ派を黙らせるには靖国参拝で先手を打っておく必要があったに違いない。小泉氏にとっては、いまや外交上の足跡で歴史に名を残すことが最大の関心事になっている。
【『ポリシーフォーラム』2005年11月10日号】