2005年9月29日
エネルギー教育のすすめ
はじまりは「国際理解教育」
「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」というのは有名なユネスコ(国連教育科学文化機関)憲章の前文の冒頭の一節だが、その具体的実践としてまずユネスコが提唱したのが「国際理解教育」だった。
憲章はさらにこう続く。「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、このための諸人民の不一致があまりにしばしば戦争となった」。
つまり2度の世界大戦は諸国民・諸民族間の相互不信・誤解・偏見から生まれたという経験から、「国際理解」こそが教育の根幹でなければならないというユネスコ創立に尽くした人びとの確信だったのだ。
このユネスコ憲章前文は、太平洋戦争の敗戦で茫然自失していた日本国民の心をとらえ、各地の知識人を中心にユネスコ協力会(のちに協会)が生まれた。日本のユネスコ加盟4年前のことで、のちに全世界に広がるユネスコ民間運動は日本で生まれたのだ。発祥の地・仙台には記念碑が建っている。
「国際理解教育」が文部省(現・文科省)の行政指導を待つまでもなく普及したもうひとつの理由は日本人の「国際」好きにある。「国際」という言葉は明治の元勲の造語で、漢字のルーツである中国語には本来なかった言葉だ。国際協力、国際交流、国際貢献、国際化、国際人・・・・日本人は何にでも「国際」をつけたがる。
あげくのはては、国際大学、国際学部、国際高校、国際ホテル、国際タクシー、国際証券、さらに国際興業などという何をしている会社かわからないものもある。外国人との結婚を国際結婚などと大げさに呼ぶのも日本語だけだ。
「国際」という言葉には落とし穴がある。「国際」は本来、国と国の間という意味だから国家間・国民間の関係をさす。しかし地球上の人類のつながりはすべて国家・国民間ではない。
そこで70年代に登場したのが「異文化(理解)教育」だ。これはもっと広く、ボーダレス時代にふさわしい。
ユネスコが勧める「○○教育」
ユネスコは創設以来、さまざまな教育勧告を行ってきたが、60年代にフランスの教育学者ポール・ラングランが提唱した「生涯教育(学習)」は古くて新しい。21世紀は「生涯学習の時代」ともいわれ、特に日本は少子高齢化の進行で、大学はどこもかしこも中高年男女の「生涯学習センター」に変貌しつつある。問題は、意識改革と行動にどう結びつくかといえよう。
ユネスコは1970年代に、単に理解し合うだけの「国際理解教育」から一歩すすめて、人類の普遍的価値を共有し合い、問題解決のための行動を促す教育勧告を行った。これが「平和・人権・開発教育」だ。
80年代に、これに「環境教育」が加わり、さらに「開発」と「環境」が合体して「持続可能な開発」教育に発展した。「持続可能な開発」というのは、92年の地球サミットいらい国際社会のキーワードとなっている概念で、簡単に言えば、地球環境を守りながら貧富の差をなくし、開発を進めることだ。
エネルギー教育こそ最重要
広い意味で「持続可能な開発」に含まれ、地球環境保全の一部をなすが、ユネスコが特に提唱していないのが「エネルギー教育」だ。「エネルギー教育」というのは、まず省エネ。ガソリンにせよ、電気にせよ、エネルギー消費を最小限にするライフスタイルを身につける、これを家庭で、学校で、職場で、国全体で、最終的には地球規模で実践することだ。
次に、エネルギーは国家、強いては世界の平和と安全保障の維持に不可欠である以上、単に節約するだけでなく、長期的な安定供給の確保のためにどうしたらよいかを考え、少なくとも国民的レベルで合意を形成する教育である。
地域によってバラつきはあるが、地球の人口は着実に増えており、現在64億の人口は21世紀半ばには90億前後に達すると推計されている。先進国がいくら省エネをしても追いつかない。化石燃料消費は気候温暖化を招く。新エネルギーの開発と実用化が不可欠だ。
日本の場合でいえば、1970年代の石油危機(オイルショック)の経験から、石油の備蓄はほぼ半年分あるが、安全保障という点では、長期的に大規模安定供給が可能で、しかも地球温暖化にブレーキをかけられるエネルギー源は原子力しかない。
日本には53基の原発が稼動していて、現在、電力需要の35%をまかなっている。しかし原子力には賛否両論があり、地元住民の反対も根強く、原発増設はなかなか困難だ。自然エネルギーの太陽光発電、風力発電にも限界がある。
とすれば、どうしたらよいか。エネルギー源には何と何があり、その長短は何か。それを考え、みんなで最善の選択を考えるのがエネルギー教育だ。教育現場の皆さん、ぜひ真剣に取り組んでいただきたい。
【教育新聞2005年9月29日付】