2009年10月03日
2016年五輪のリオデジャネイロ開催を歓迎する
2016年のオリンピック/パラリンピック開催都市にリオデジャネイロ(ブラジル)が選ばれた最大の意義は、五輪開催都市の普遍性達成にあり、それ自体が望ましいことだ。「五輪」は世界の5大陸を意味するが、南米とアフリカではまだ開催されていない。
1896年以来、過去29回のオリンピックは圧倒的に欧米諸国が多く、欧米以外で開催されたのは、東京(1964年)、ソウル(1988年)、北京(2008年)の3回がいずれもアジア、それ以外は中米のメキシコ(1968年)、豪州が2回(メルボルンとシドニー)あるだ。次回(第30回)もロンドン(英国)だ。その意味で、「南米で初の五輪を」というルーラ大統領の訴えがIOC委員の共感を呼んだのだ。
サッカー・ワールドカップも来年、史上初めてアフリカ大陸で開催される。オリンピックもいずれアフリカで開催されるだろう。それが時代の流れだ。人類の文明は、アフリカ(エジプト)、中東(メソポタミア)、アジア(インダス、黄河)に発したが、欧州と北米大陸中心に発達し、すべてが欧米に集中しすぎていた。
21世紀は地球の丸さを人類が再確認し、地球文明を共有する時代だ。
日本人は”東京の敗因”にこだわりすぎている。環境に対する配慮を最大限に強調し、プレゼンテーションも工夫に富んでいたかもしれないが、(1)1964年に続いて同一都市で2度目であること、(2)昨年、同じアジアの北京で開催されたばかりであることからして、最初から勝ち目はなかったと知るべきだ。
同様の理由で、マドリード(スペイン)も失格だった。2012年に、同じ欧州のロンドンで開催されることがすでに決まっているからだ。最後までリオと競ったのは、(1)国民の支持率が圧倒的に高かったこと、(2)サマランチ前IOC会長(スペイン人)の訴えが功を奏したことにあったのだろう。他方、大物が駆けつけで誘致を訴えれば決まるというわけでもない。オバマ大統領夫妻が駆けつけたシカゴは惨敗したではないか。米国ではすでに過去4回開催されている。
五輪誘致合戦はさまざまな要素がからむが、当面は”開催地の普遍性達成”が大原則になるだろう。