2009年12月09日
核密約をめぐる岡田外相の英断を称える
日米間の核密約の存在が、吉野文六外務省元アメリカ局長の法廷証言で改めて確認され、追認された。密約の存在は米側の公開文書ですでに”暴露”されていたが、歴代自民党内閣は一貫して否認し、外務省幹部も口裏を合わせて否定していたが、政権交替で化けの皮がはがれた。岡田外相の英断を歓迎する。
民主主義社会では情報公開が大前提だ。歴代自民党内閣でも、故大平正芳首相は「非核三原則」との矛盾に悩み、国民に真実を伝えるべきか否かについてかなり苦悶したものの、ついに真相公開に踏み切れなかったようだ。佐藤栄作氏が「非核三原則」堅持が評価されて、ノーベル平和賞を受賞したことも重圧になっていたであろう。これこそは、今世紀最大の偽善である。だからこそ、密使として日米の仲介役を務めた若泉敬氏は「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を言い残して自ら命を絶ったのだ。
歴代政権の偽善はきびしく糾弾されるべきだが、問題は明快だ。ライシャワー元大使が証言しているように、「有事の際に核弾頭を艦船に搭載して一時的に日本の港に寄港するのは、日本が米国の「核の傘」の下におかれている現実からしてやむを得ない。しかし一時的寄港は「核兵器の持ち込み(introducue)」には当たらず、「日本政府の唱える”非核三原則”には抵触しない」と定義しておけばよかったのだ。
米艦船が日本の港に立ち寄る際に、核弾頭をいちいち降ろしてくるなど、軍事常識からして考えられない。この事実は、つとに1974年にラロック退役提督が議会証言している。「日本の常識、世界の非常識」の典型である。
今後、岡田外相が迫られている決断は、「立ち寄り」にも核弾頭搭載を認めないこと、つまり米国の核の傘から離脱する外交であり、「北東アジア非核地帯構想」の早期実現である。