2011年6月20日
原発事故にも国際社会のルールを適用せよ
国際社会を構成している単位は「国家」だ。国家を構成しているのは政府、国民、国土であり、政府が行使しているのは「国家主権」だ。「国家主権」こそ国際関係で「至高の権力」であり、それ以上のものは存在しない。国連には「主権」はない。国連の権限は主権国家には及ばない。
というわけで、原発事故に国際的賠償・補償の責任はなく、25年前の1986年、旧ソ連がチェルノブイリ原発事故を起こしたあとも、ソ連政府は“知らん顔”の半ベエを決め込んでいた。国内法で責任者は処罰されたが、国際的責任は負わなかった。チェルノブイリ事故の責任を追及する国際法は存在しないのだ。国外に犠牲者、死傷者が出てもおとがめなしでは、いくらなんでもそれは不合理、不条理ではないか。そんな声が東電福島原発事故をきっかけにして高まってきている。
福島第一原発の運転許可を与えたのは日本政府、実施しているのは東京電力だ。問題を起こさない限り、IAEA(国際原子力機関)はノータッチだ。
世の中、グローバル化が進み、国境の垣根は低くなっている。放射能は国境を無視して飛散、拡散する。その張本人を特定できるのなら、処罰し、賠償・補償をさせるべきだ。福島の場合、第一義的に東電だが、許認可権を有する日本政府も責任をまぬがれない。信賞必罰が国際慣行になれば、原子力の安全管理、安全運転も向上するだろうというのだ。
時あたかも、20日からウィーンで開催されるIAEA主催の閣僚級会議で初めて取り上げられ、検討されることになった。原発運転も「国家主権」の行使である、国際的な拘束力を備えた規約・規定をめぐる合意はできないであろうが。その一歩を踏み出すだけでも進歩だ。
IAEAは「核の番人」と呼ばれる。ウラン、プルトニウムなどの核物質が軍事目的に使われ、核兵器開発のために利用されるのを阻止するために、IAEAの査察官が関係国の核施設を査察するのを認めているからだが、平和目的の原発関連施設にも立ち入って、安全審査できるようになれば安心だ。原発の安全審査官に強制力を持たせるようにするには、まだ紆余曲折を辿るだろうが、世界が一挙に脱原発の道を歩むことにならない以上、まず強力な権限をもった審査官による安全審査の導入が望ましい。
しかしIAEAには国内法におけるような許認可権はない。あくまでも加盟国がIAEAの指針に協力し、決定にしたがうのが前提だ。先進諸国が足並みを揃えるのも難しい。国連安保理ですら、常任理事国は「拒否権」をもち、理事国のうち、1カ国でも反対すると決議案はとおらない。それがグローバル化時代の国際社会の現実であることを同時に知っておく必要がある。