2011年12月20日
金正日総書記の急逝を悼む
拝啓
金正日総書記殿
2011年12月17日、69歳で波乱万丈の生涯を閉じられました。
朝鮮中央テレビによって公表されたのは、2日後の19日正午(日本時間)でしたが、地方で現地指導の旅に出る途上の列車内でとのこと、脳梗塞を克服して2年有余の真冬のさなか、さぞ体力を消耗され、疲労が蓄積しておられたことと拝察します。
若いころからエネルギッシュで仕事熱心な性格から、じっとしていられなかったのだと推察します。これで「偉大な主席」と同じ永久に安住の地に旅立たれました。ゆっくりお休みください。
私はジャーナリスト兼学者のはしくれとして、貴国の内政・外交を過去20年見守ってきましたが、超大国アメリカを向こうにまわして一歩も引かず、国際舞台で互角の勝負を繰り広げてこられた手腕は実に立派でした。まさに民族の独立と誇りを十二分に発揮してあまりあるものでした。かくして、冷戦終結後も20年以上、巧みな綱渡で、孤高の独立を維持して来られたのはお見事でしたが、その代償として人民の生活は困窮し、一般民衆は慢性の食糧不足に悩みました。
結局、現状では、隣国・中国の属国のような存在になってしまいました。そうした中で日米両国との国交正常化が実現せず、とくに日本とは拉致問題が未解決のまま残され、若輩の後継者・金正恩?大将”の宿題になってしまたのは、心残りと思われます。
拉致問題では、2002年9月の小泉元首相との日朝首脳会談で、みずから拉致を認め、”謝罪”したにもかかわらず、日本の世論が“暴走”して、その後も未解決のままになったのは、はなはだ遺憾です。日本の世論からすれば、「5人生存、8人死亡」で「5人は日本に返したのだから、これで解決済み」という一片の公式発表では、国民感情として済まされないのです。「死亡した」というなら、家族が納得できる確証が不可欠です。
米朝関係については、超大国アメリカを向こうに回してのガチンコ相撲ぶりは、戦後一貫してワシントンに頭が上がらず、常日頃から屈辱的な思いを味わわされている日本人の私にとって、胸のすく思いでしたが、核開発を対米交渉カートとしても弄び、北東アジアの地域の平和を脅かしておられたのは、いただけませんでした。瀬戸際外交を称賛しながら、論理矛盾ですが、正直な印象ではあります。
その米朝交渉も、本格的再開の一歩手前まできていました。その点、さぞ心残りだったと思います。
最後に北朝鮮の政治体制がどうなるかは大いに気がかりです。
「血統を重んじる朝鮮民族にって、革命とは代を継いで継承するもの」という世襲の正当化は、はなはだ身勝手な論理です。人類が二度の世界大戦を経て学んだ知恵が議会制「民主主義」(デモクラシー)なのです。国家権力の世襲は民主主義の原則に反します。貴殿の死後、中長期的経過を経て、北朝鮮でも「民主化」が進み、真の民意で指導者が選ばれる体制が導入されることを祈念しています。