2007年7月05日
米国のイラン空爆は「時間の問題」(?)
核開発をめぐる日本人の関心度を北朝鮮とイランで比較すると9対1の比率だが、米国では逆転する。早くも白熱化している大統領選挙運動における舌戦はイラン空爆の是非をめぐって展開されている。北朝鮮など全く話題にならない。
もちろんイランがシーア派武装勢力を通して隣国イラクに干渉しているため、イラクで米兵の死傷者が急増しているという事実が関心の背景にあるが、核実験を強行した北朝鮮とは一転して対話に転じ、低濃縮ウランを生産しているに過ぎないイランにはいかなる原子力平和利用も認めないというのだから、米国のダブルスタンダードは甚だしい。
折りから東京財団が「緊張する米・イラン関係」と題するフォーラムを開催、孫崎亨・防衛大学校教授(元イラン大使)と中東研究者の佐々木良昭氏が熱弁を振るい、「米国のイラン空爆は、やるかやらないかではなく、いつやるかの問題だ」と断言した。とくに佐々木氏は「両国の低烈度戦争はすでに始まっている」と指摘した。
低烈度戦争とは、周辺諸国を通しての政治的干渉、テロ・ゲリラ、軍事的威嚇、情報操作などの神経戦を含む撹乱戦術で、経済・金融制裁はすでに実施中。産油国イランでガソリン割当制に対する抗議の焼討ちなど暴動が起きている。
米国のイラン攻撃の動機として、佐々木氏は(1)(ユーロ取引が増える中での)基軸通貨としてのドルの地位保全 (2)石油利権の確保 (3)イスラエルと湾岸諸国の安全を挙げ、孫崎氏は、攻撃的性格こそ米軍事戦略の根幹と決めつけた。同時に孫崎氏は、「イラン側もイスラム原理主義のハメネイ=アフマディネジャド政権が人民の不満を外に向けさせようと反米意識を煽って緊張を高め、チキン・ゲームを展開している」と警告した。
2人の議論に共通していたのは核拡散の危険性に対する認識の欠如だ。北朝鮮の場合、ブッシュ政権として金正日体制を認知し、朝鮮戦争の休戦協定に代わる平和条約を北朝鮮と結び、テロ支援国家の認定を解除して本格的支援に踏み切れば核を放棄するという感触を得たから直接交渉に踏み切ったのだが、イランは一筋縄ではいかないのだ。
北朝鮮の核開発は対米交渉のカードだが、イランの場合は、交渉カードである以上に、(米・イスラエルの核に対する)抑止力、国威発揚のステータス・シンボル、国民にとってのナショナリズムの発露などの要素がからみ、簡単に放棄には応じない。
原子力平和利用はNPT(核不拡散条約)第4条で「奪いえない権利」として認められているとして、ウラン濃縮もプルトニウム生産用の重水炉建設も、油田枯渇後のエネルギー源確保のためと主張しながら、過去3本の国連安保理決議を無視し、IAEA(国際原子力機関)の包括的(フルスコープ)保障措置を受け入れず、追加議定書も批准していないところが小ざかしい。対米ゆさぶりの外交カードとしても使っているからだ。
中部ナタンツで稼動中の濃縮用遠心分離器は現時点で3000基に達し、フル稼働すれば1年後には核弾頭1個分の高濃縮ウラン入手が可能と推定されている。エルバラダイIAEA事務局長は「イランが核保有国になるには3年から8年かかり、切迫した脅威ではない」として、米軍のナタンツ空爆に「待った」をかけているが、稼動中止を求める安保理決議無視のまま野放しというわけにもいかない。
イランの開き直りの最大の根拠は、米国がイスラエルの核保有を黙認していることにある。それだけならまだしも、イランがいったん核保有したら、実戦に使用したり、少なくともシーア派武装勢力に手渡す可能性があるというのが欧米諸国の最大の懸念材料になっている。その点が北朝鮮、イスラエル、インド、パキスタンと異なる要素で、いつまでも呑気に構えていられないことになる。この問題でも日本人は能天気すぎないか。
【『電気新聞』2007年7月5日付「時評」ウェーブ欄】