2010年10月10日
NPT(核不拡散条約)に対する誤解を解き、日印原子力協定締結を急げ
NPTという国際条約をご存じだろうか。「核拡散防止条約」の英語の頭文字をとった略称で、文字通りに解釈すれば、「核兵器保有国を現状以上に増やさないようにしよう」という国際条約だ。現在、世界の190カ国が加盟し、国際社会に“核不拡散の文化”を広めようという流れになっている。
ところがNPTというのは、とんでもない不平等条約なのだ。核兵器保有国の核はそのままにして、非核保有国が保有を断念し、IAEA(国際原子力機関)の査察を受け、核物質を平和目的にのみ利用することを誓約させようというものなのだ。誓約し、査察を受ければ、ご褒美として、原子力発電のための技術や便宜を供与してもらえる仕組みになっている。この仕組みを考え出したのは米国だが、米国としては核保有を独占したかったのだ。
広島・長崎に投下した原子爆弾の威力に驚愕したトルーマン米大統領は第二次大戦後、強力な国際機関を創設して核兵器管理を委ね、核兵器全廃をこころみるものの、米ソ冷戦の勃発でソ連(当時)の核開発が進み、大国の核開発がスタート。そこで米国は既存の核保有国による核兵器独占による封じ込めに政策転換する。NPTはそうしたプロセスにおける「大国支配」の構造なのだ。
NPTにはさまざまな差別がある。まず、核兵器保有国にはIAEAの査察を受ける義務がない。核軍縮や核削減も道義的責任があるだけで条約上何らの義務も負っていない。NPT体制というのは核廃絶を目ざしてはいないのだ。
NPT体制を堅持するというのは、核保有国は特権を保持したまま、非核保有国に対する核兵器の移転、譲渡、開発の自粛を守り、守らせ、核不拡散を制度として貫こうというに等しい。
日本とインドが6月末からニューデリーで原子力平和利用協定をめざして交渉している。平和利用のための協力なら結構なはずだが、問題はインドがNPTに加盟していないことだ。インドは“確信犯”としてNPTに加盟していない。締結時の1970年にすでに核保有国だった米ソ(当時)英仏中の5カ国の核兵器には目をつぶり、それ以外の国の核保有を禁じたものだったからだ。インドはこの構造的不平等性に着目、自力で核開発して保有国となり、NP`T加盟を拒否、今日に至っている。
そのインドを相手にブッシュ前政権が政策を大転換、インドのNPT非加盟のまま、原子炉の捻出など原子力平和利用における米印協力に乗り出したのだ。米国に次いで、仏ロはじめ西側諸国も従い、インドとの協力は大きな流れとなった。インドが胸を張って自慢できるのは、インドは隣国のライバル、パキスタンと違って、核の拡散に手を染めず、NPTに非加盟ながら、NPTが禁じている核拡散には一切加担していない。だから、NPT生みの親である米国もインドを信用し、原子力協力に乗り出したのだ。
さて、問題は日本だ。日本は、政府も国民もNPTを絶対視、神聖視しているので、NPT非加盟のインドとの原子力協力には拒否反応を示している。NPT遵守が核廃絶につながると考えている日本人も多く、言論界にも反対論が根強い。拡散を止めても核兵器がなくなるわけではない。日本がインドと協力しなければフランスやロシアが優位に立ち、原子炉輸出市場を埋めるだけの話である。
従来、日本はNPT非加盟国には一切協力をして来なかったが、偏狭なNPT至上主義は改めるべきだ。インドとも原子力協力できるよう国内法を改正すべきだ。
インドの原子力平和利用の歴史は古いが、CANDU炉中心で出力が小さく、エネルギー需要の急増に備えるために軽水炉開発に力を入れている。日本がNPT体制堅持を理由にインドへの原子炉技術の供与を拒否すれば、韓国や中国が漁夫の利を占めるだけの話だ。原子炉開発における協力には原子力協定の締結が不可欠だが、インドは最近、2008年に米印協定を結んで以来、仏、ロシア、カナダなどと相次いで締結、韓国とも締結を準備中だ。日本がNPT至上主義のわなに陥っていると、日本の原子力発電は“ガラパゴス化”しかねない。いくら技術が優れていてもひとりよがりで孤立の道を歩み続けるしか未来はないことになる。地球温暖化問題の決め手になる筈の日本の原子力の未来は暗い末路を辿るだけの運命にある。
重ねていうが、NPTは核保有国の核を特権として容認し温存したままの不平等条約なのだ。NPTがこの世に存在している限り、核廃絶は実現しないこと請け合いである。