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プロフィール

吉田 康彦

吉田 康彦

1936年東京生まれ
埼玉県立浦和高校卒
東京大学文学部卒
NHK記者となり、ジュネーヴ支局長、国際局報道部次長などを歴任

1982年国連職員に転じ、ニューヨーク、ジュネーヴ、ウィーンに10年間勤務

1986−89年
IAEA (国際原子力機関)広報部長

1993−2001年
埼玉大学教授
(国際関係論担当)
2001-2006年
大阪経済法科大学教授
(平和学・現代アジア論担当)

現在、
同大学アジア太平洋研究センター客員教授

核・エネルギー問題情報センター常任理事
(『NERIC NEWS』 編集長)

NPO法人「放射線教育フォーラム」顧問

「21世紀政策構想フォーラム」共同代表
(『ポリシーフォーラム』編集長)

「北朝鮮人道支援の会」代表

「自主・平和・民主のための国民連合・東京」世話人

日朝国交正常化全国連絡会顧問

学歴・職歴

北朝鮮人道支援の会

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核・原子力
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2004年12月17日

IAEA(国際原子力機関)の光と影

ノーベル平和賞受賞を逸したIAEA

 今年のノーベル平和賞の最有力候補として下馬評に上っていたのは、IAEA(国際原子力機関)だった。発表当日の10月8日、事務局長モハメッド・エルバラダイは日本を公式訪問中で、午前中、東京・青山の国連大学で講演、わが国の原発推進勢力の牙城である原子力産業会議の幹部と昼食をともにしたあと記者会見と個別インタビューを精力的にこなして吉報を待っていた。しかし結果は、肩すかし。受賞したのはケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさんだった。

 エルバラダイ氏はエジプト出身、国連のキャリア職員からの昇進で、専門は国際法。前任者のスウェーデン元外相ハンス・ブリクスの下で法律部長を務めた。1980年代後半、彼と私は同僚としてウィーンの同じビルに勤務していた。その私が新聞社の求めに応じて平和賞受賞の談話として事前に渡しておいた予定稿は陽の目をみることなく終わったが、きわめて辛辣な内容で、受賞していてもボツになったかもしれない。

 「近年、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、ユニセフ(国連児童基金)、PKF(国連平和維持軍)、国連本体などが続けて受賞しているが、国連機関が世界平和に貢献するのは当たり前。今さらノーベル平和賞というのはおかしい。ましてIAEAが過去1年間、核拡散を阻止し、平和に寄与した格別の実績は何ひとつない」。これが私のコメントだ。

 自分の古巣を卑下するつもりはないが、私の否定的評価は客観的事実だ。IAEA査察官は寧辺から追放されて北朝鮮の核開発はその後野放しとなり、イラクでは大量破壊兵器のかけらも見つからぬまま米国が安保理の頭越しにフセイン政権打倒の武力行使に踏み切り、IAEAと国連の査察活動はコケにされた。リビアは核廃棄に応じたが、カダフィに決断させたのは米英の密使による水面下の交渉だ。イランはIAEAを愚弄するかのように今も核開発を続けている。

 IAEAがノーベル平和賞を受賞していたら、とんだパロディーになったであろう.。2001年の平和賞も「国連とアナン事務総長」に授与された。同年9月の同時多発テロへの報復として米国が仕かけたアフガン戦争に国連は無力だった。この時もブッシュ政権は個別的自衛権の行使として安保理を完全に無視した。「最近ノーベル平和賞は実績に対する評価というより、叱咤激励の意味合いが強くなった」と私は結論づけた。

根強い日本人のIAEA信仰 

 IAEAに限らず、国連に対する日本人の信奉と過大評価は根強い。「IAEAは nuclear police (核の警察官)ではない。秘密核開発を強制力で摘発する権限はない」というのが、私の在任中の上司、ブリクス事務局長の口ぐせだった。その意味では一般市民にも誤解がある。査察官には超国家的な捜査権が与えられていると錯覚している記者が私の周辺にも少なからずいた。

 実際は全く逆で、査察官の選別にも当事国が決定権を有している。査察も事前通告した上ではじめて原子力施設訪問が許される。事前の申告と査察結果に齟齬が生じた場合にのみ、疑惑の施設に対する「特別査察」を要求できるが、これまでIAEAがこの「伝家の宝刀」を抜いたことはない。

 1993年、北朝鮮に対して要求した際、北朝鮮は焦点の使用済み燃料貯蔵施設が「国家安全保障にかかわる軍事施設」を理由に拒否、抗議の意思表示としてIAEAから脱退した。そうなれば、(たとえ脱退しなくても)IAEAは手も足も出ない。IAEAは軍事施設にアクセスする権限はない。あとは安保理に持ち込まれるが、そこで常任理事国が拒否権を行使すれば国際社会としては何もできない。それが北朝鮮、次いで現在イランで起きていることだ。すべてに国家主権の壁が立ちはだかる。

 日本人のIAEA信奉は別のところにある。日本の市民もメディアも核拡散には全く関心を払わない。関心はもっぱら原発の安全性にあり、1986年のチェルノブイリ事故以来、安全運転のお墨付きをIAEAに求めて、官民挙げてのウィーン詣でが続いた。原発の安全性確保は各国政府の責任で、IAEAの管轄外だったが、国連機関のお墨付きが殊のほか効能を発揮する日本の強い要望で、この部門が強化された。IAEAは原発推進国の専門家を臨時編成して日本各地の原発サイトに派遣し、“安全運転”のお墨付きを与えた。

 しかし所詮は電力会社あるいは操業主体の企業、監督官庁である政府機関に責任があることはいうまでもない。国連とその関連機関のお墨付きをこれほどありがたがる国民はほかにない。過疎地の自然や人気のうすれた古い建造物の意義を説いてユネスコ(国連教育科学文化機関)に陳情、「世界遺産」として認定してもらうと観光客が急増するという。国立公園ではダメで、「ユネスコ公認の世界遺産」でないとご利益がないのだ。

IAEA誕生の秘話

 IAEAの誕生は、1953年の国連総会におけるアイゼンハワー米大統領の「平和のための原子力」提案(atoms for peace proposal)にさかのぼる。

 日本語では「核」は軍事目的、「原子力」は平和目的と使い分けているが、両者は同じものだ。(例外は平和目的でも「核燃料」というときくらいだ。逆に軍事目的でも昔は「原爆」と呼んでいた。今はすべて「核兵器」「核爆弾」「核弾頭」と呼ぶ。)

 人類は最初に核分裂を軍事目的に利用し、のちに原子力発電を思いついた。1950年代はソ連と英国が平和利用で先行、米国もしぶしぶ同調して、平和利用に限り技術移転を認める政策に転換した。そこで米国人エンジニアたちが考案したのが、現地査察を含む検証手段で核物質の軍事転用を阻止するシステム、それがセーフガード(保障措置)である。純平和利用であることをIAEAが「保障する」という意味だ。

このシステムの実施機関として1957年に発足したのがIAEAで、核兵器の寡占体制の維持という点で、米ソ冷戦のさなかにあっても両国は蜜月関係を保ち、夜ごとの舞踏会では米ソの大使と大使夫人は互いにパートナーを替えてワルツのステップを踏んでいた。発足当初、IAEA本部はウィーン旧市街のオペラハウスのすぐ隣に仮住まいしていた。

当時は「原爆」も「原発」も米英ソ3国以外には存在しておらず、平和利用の「原発」建設は認めるが、これが「原爆」にならないように監視・検証するのがIAEAの役割だ。核物質もウラン濃縮技術も原発建設技術も3国の独占で、フランスと中国が密かに追いかけていた。彼らの最大の関心事は日独両国の核武装阻止にあった。国連という第三者機関に査察を委ねることで、クッション効果を狙ったものだが、査察の結果はワシントンに筒抜けだった。「保障措置」というのは米国技術陣の考案であり、査察官も米国人が圧倒的に多かった。日本はせっせと原子力留学生をウィーンに出向職員として派遣し、査察技術を習得させた。

 その構造は今も変わらない。「大量破壊兵器を隠匿し、査察を妨害したサダム・フセインが悪い」というのが、イラク戦争を正当化し、これを支持した小泉首相の言い分だが、査察団にCIA(米中央情報局)のスパイが混入していたことは公然の秘密で、国連側もこれを認めてUNSCOM(国連特別委員会)は解散、新たに米国人を排除したUNMOVIC(国連検証監視査察委員会)が発足したのだ。ブッシュ大統領にすれば、IAEAにせよ、国連にせよ、査察官などはワシントンの意のままになる手先に他ならない。

NPT体制と追加議定書 

 核保有国の特権はそのままにして、すべての非核保有国にIAEAの査察を義務づけたのがNPT(核拡散防止条約)だ。1970年に発効、95年に無期限延長された。来年5月ニューヨークで再検討会議が開かれるが、「全面完全軍縮について誠実に交渉する」という第6条の規定を核保有国は、冷戦終結後15年いまだに真剣に実行していない。

 その間、インド、パキスタンが一連の核爆発実験を経て核保有宣言した。南アフリカ共和国は核弾頭6個を密かに開発し、保有していた。白人少数政権消滅後、廃棄し、NPTに加盟したが、IAEAはまんまと騙されていた。イラクでもウラン濃縮は進んでいた。湾岸戦争直前の定期査察で、IAEA査察官は「異常なし」とウィーンに報告していた。

 この苦い経験から、査察の対象を広げ、設計情報の提出、周辺の環境モニタリング、無通告査察などを加盟国に義務づけて「保障措置」を完璧にしようという試みが「追加議定書」の採択で、1997年に発効、現在、60カ国が加盟している。韓国もことし2月に加盟、その際、過去の記録を詳細に申告する必要が生じ、そこで露呈したのがウラン・プルトニウムの小規模実験のデータだったわけだ。

 韓国のように、受入れ国が全面的協力してくれれば、IAEAが積み上げてきた技術的精度はきわめて高く、秘密核開発はまず不可能だ。査察の障害は国家主権にある。この地球上に超国家機関は存在していない。

 もう一つの構造的欠陥は、NPT成立時に核実験済みの米ソ(ロ)英仏中の5カ国を「核兵器保有国」と公認し、それ以外の「非核保有国」の核兵器開発・取得・保有を禁じ、5カ国にはIAEAの査察を一切免除しているという不平等性にある。インドはこれを「核のアパルトヘイト」と呼んでいる。さらに米国はイスラエルの核保有を黙認している。

 残る問題はテロリスト対策だ。“非対称の脅威”であるアルカーイダなどのテロ集団の核取得に対し、IAEAは打つ手はない。ブッシュ大統領の呼びかけによるPSI(拡散に対する安全保障構想)は、10月に東京湾沖で疑惑の船舶に対する海上臨検の実施訓練を行ったが、こうした手荒な手段に頼るしかない。

日本よ、お墨付き志向から脱却せよ

 今年6月の理事会で、エルバラダイ事務局長は「日本には核武装の意思はない」として、国内の対象施設260ヵ所に対する査察業務を大幅に削減し、事実上の“お目こぼし”をする提案をして承認させた。浮いた人員と経費は核開発疑惑国に振り向ける方針だが、発足当初のIAEAの査察業務全体の3分の1以上が対日査察に費やされていたことからすれば一大変化である。

 日本はIAEAから優等生としての“お墨付き”を頂戴したのだ。この事実はもっと知られてよい。その日本が “北朝鮮の脅威”に対抗するために核武装することなどは夢想だにしてはならない。選択肢はただひとつ、「平壌共同宣言」で約束した日朝国交正常化を通して、脅威除去のための主体的努力を果たすことである。域内の“核の脅威”をかかえて、「北東アジア非核地帯」などは実現しない。

【『週刊金曜日』2004年12月17日号】

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