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プロフィール

吉田 康彦

吉田 康彦

1936年東京生まれ
埼玉県立浦和高校卒
東京大学文学部卒
NHK記者となり、ジュネーヴ支局長、国際局報道部次長などを歴任

1982年国連職員に転じ、ニューヨーク、ジュネーヴ、ウィーンに10年間勤務

1986−89年
IAEA (国際原子力機関)広報部長

1993−2001年
埼玉大学教授
(国際関係論担当)
2001-2006年
大阪経済法科大学教授
(平和学・現代アジア論担当)

現在、
同大学アジア太平洋研究センター客員教授

核・エネルギー問題情報センター常任理事
(『NERIC NEWS』 編集長)

NPO法人「放射線教育フォーラム」顧問

「21世紀政策構想フォーラム」共同代表
(『ポリシーフォーラム』編集長)

「北朝鮮人道支援の会」代表

「自主・平和・民主のための国民連合・東京」世話人

日朝国交正常化全国連絡会顧問

学歴・職歴

北朝鮮人道支援の会

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核・原子力
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2009年8月01日

原子力発電の課題/核拡散・安全・廃棄物処理をどう克服するか

地球温暖化防止の決め手として、大量安定供給が可能な原子力発電が見直され、“原子力ルネッサンス”という言葉も一部に流布しているが、各国から手放しで歓迎されているわけではない。国是として反原発を貫いているアイルランド、ノルウェー、デンマーク、オーストリア、脱原発を決めているドイツ、迷った末に原発復活を決めたイタリアなど、国によってさまざまだ。

 

1988年、「環境と開発に関する世界委員会」(議長=グロ・ハーレム・ブルントラント/ノルウェー元首相)は、「原発はCO2を排出せずクリーンなエネルギー源だが、核拡散、安全性、放射性廃棄物の3点に問題があり、化石燃料に代わる基幹電源としては推奨できない」という報告を国連事務総長に提出した。原発が「京都議定書」公認のCDM(クリーン開発メカニズム)の対象として認められず、普及にブレーキがかかったのはそのせいだ。

 

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の最新の第4次報告書、IEA(国際エネルギー機関)年次報告などは、いずれも原子力発電をCDMの対象として認めるよう提案しているが、すべては今年12月コペンハーゲン(デンマーク)で開催されるCOP15(第15回気候変動枠組条約締約国会議)で“ポスト京都”のCO2排出削減目標がどう決まるかにかかっている。

 

核拡散、安全性、廃棄物という原子力の“アキレス腱”を順次検討してみよう。まず核拡散の問題から。

 

エネルギー源としての不幸な出発点

原子力発電は不幸な歴史を背負っている。まず核分裂反応が生み出すエネルギーが人類史上最悪の大規模殺人兵器として利用されたからだ。

 

1945年8月6日、広島上空でさく裂し、20万以上の市民を殺傷した原子爆弾は、ウランの核分裂反応が生み出すエネルギーのすさまじさを見せつけ、すでに敗色濃厚だった軍国主義「大日本帝国」を打ちのめす決定打となり、ポツダム宣言受諾、無条件降伏へと導いた。

 

3日後の9日、追い打ちをかけるように長崎にプルトニウム爆弾が投下された。地形の関係と都市規模の点で犠牲者数は10万足らず、長崎の方が少なかったが、爆発規模は広島の15キロトンを上回る21キロトンに達した。米国はプルトニウムの爆縮反応はニューメキシコ州のアラモゴールドで事前にテストし、そのすさまじい威力を確かめていた。

 

ナチスドイツ殲滅のために、アルバート・アインシュタイン博士が時の米大統領フランクリン・ローズヴェルトに核分裂反応を利用した原子爆弾開発を勧める書簡を送り、大統領がこれに応じて1942年に始めのが「マンハッタン計画」だ。3年足らずで、当時としては桁外れの予算20億ドルを費やし、延べ50万人を動員して3個の爆弾製造に成功したが、その時すでにヒトラーは自決し、ナチスドイツは降伏していた。

 

ローズヴェルト急逝のあとを継いで昇格した副大統領ハリー・トルーマンは、1個を国内の砂漠で実験後、残り2個の日本投下を命じた。米国の公式文書には「3個とも爆発実験に成功」と記録されている。無人の砂漠と違って、交戦相手とはいえ日本には日本人が住んでいたのだが、所詮、日本は実験の舞台であり、日本人はモルモット扱いだったのだ。

 

4年後の1949年、旧ソ連が諜報機関KGBを動員して米国から機密を盗み出して核実験に成功、核保有国となって米国に追いつき、熾烈な核開発競争がはじまった。核分裂利用の機密を独占できなくなったことを知ったアイゼンハウアー米大統領は原子力平和利用の情報開示と技術協力に転じ、1953年、国連総会で「平和のための原子力」(Atoms for Peace)を唱えて平和利用を担保するための監視機関の創設を提案、こうして4年後の1957年に発足したのがIAEA(国際原子力機関)である。

 

ウラン(プルトニウム)の核分裂反応が生み出すエネルギー利用はまず大量破壊兵器として出現、次いで潜水艦のエンジンへの転用を思いつき、そのあと平和利用としての原子力発電が登場したのだ。原子炉で発生する熱で水を沸騰させ、それでタービンを回して発電するのが「原発」だ。人類史上初めて送電を開始したのは1954年、旧ソ連のオブニンスクにおいてだった。そのあと英国のコールダーホール型原子炉が完成し、商業発電をはじめた。

 

米英両国はすでに発電用原子炉を開発していたが、当初はいずれも軍事目的だった。米国では1950年、ウェスチングハウス社が潜水艦の動力源として加圧水型原子炉の開発設計に取りかかり、54年には完成していた。

 

軍事目的が先行し、平和利用はあとから登場。これは何も原子力に限らない。船も飛行機もコンピューターもみなそうだ。戦争こそ科学技術進歩の牽引車だ。しかし原子力は放射性核分裂物質を扱い、その放射能は人類に致命的な障害をもたらすだけに罪が重い。

 

WHO(世界保健機関)は1957年ジュネーヴに専門家会議を招集、「人類は放射能と不幸な出会いをした。最初に経験したのがヒロシマ、ナガサキだった。だから平和目的であっても、人類はいつまでも放射能に恐怖心を持ちつづけるだろう」という答申を出している。いわゆる“radiophobia”(放射能恐怖症)だ。そのルーツはヒロシマ、ナガサキの被爆体験にあるというのだ。

 

核も原子力も同じもの

日本は“言霊”(ことだま)の国、言葉を巧みに使い分ける。日本語で「核」といえば軍事利用、「原子力」といえば平和利用を意味する。前者は核兵器、核弾頭、核開発、核実験などと呼ばれ、後者は原子力平和利用、原子力発電(原発)、原子力安全という具合に使われる。

 

ただし「核物質」といえば核分裂物質で、この場合の「核」は nucleus (形容詞がnuclear )のことで、純粋な科学用語だ。この用法としては、核燃料、核融合などがある。ただし「核廃絶」といえば「核兵器の廃絶」のことで、この地上から核物質を抹殺することではない。そもそもそんなことは不可能だ。

 

もうひとつややこしいのは、広島、長崎に投下されたのは当時「原子爆弾」(原爆)と呼ばれたことだ。(大本営は当初「新型爆弾」と呼んた。)原爆、原水爆禁止運動などは当初の呼び名の名残りである。英語でも nucleus (nuclear) atom (atomic) に代わって使われるようになったのは1950年代以降だ。

 

以上が言葉の整理だが、こんな使い分けをしているのは日本語だけである。中国語では「原子力発電」も「核発電」という。筆者が強調したいのは、「核兵器」も「原子力発電」も同根であり、原理として同じ物質の同じ反応を利用している点で変わりないということだ。まずこの点を再確認しておいていただきたい。意図的に使い分けを広めたのは日本の原子力産業界で、「日本人に核アレルギーが強かったので、広島、長崎に投下された核兵器とは全く別物であるというイメージを作りあげたかった」と古老の一人は述懐している。

 

似た例に「国際連合」(国連)がある。英語では “The United Nations”(連合国) であり、第二次大戦中、日独伊などの「枢軸国」と闘い、勝利した米英中心の軍事同盟の名称である。前出のローズヴェルトとチャーチル英首相が意気投合して命名したといわれているが、戦後の世界平和維持機構の名前としてまで残るのには割り切れないものを感じた日本の外務官僚が「国際連合」と意訳したという経緯がある。日本人はとりわけ縁起をかつぎ、とくに言葉にこだわる。

 

というわけで、1955年12月、民主・自主・公開を基本理念として、平和利用に徹することを謳った「原子力基本法」が成立、翌年には原子力委員会が発足、茨木県東海村が原子力研究開発の拠点として選定され、国産第1号の原子炉建設もはじまった。

「核」ではなく、「原子力」の研究開発が日本でスタートしたのだ。

 

しかし大日本帝国が核開発と全く無縁だったわけではない。第二次大戦末期、故仁科芳雄博士ら一部の物理学者が東京・駒込の理化学研究所(理研)で、ひそかにウラン濃縮実験に従事していた。目的は原爆製造だったが、まもなく敗戦を迎え、実験は未完成のまま挫折した。実験を命じたのは、時の首相東条英樹だった。

 

だから日本核武装論が台頭する

現時点で、日本では53基の原発が稼働、年間4800万キロワットを発電し、国内の電力需要の30%をまかなっている。稼働率は60%台にとどまっているが、ECCS(緊急炉心冷却装置)作動の頻度はけた違いに低く、安全運転を誇っている。

 

日本は、憲法9条と原子力基本法の精神をきびしく守り、国内300近いすべての原子力関連施設をIAEAの「包括的保障措置」(フルスコープ・セーフガード)の下におき、さらに1997年、イラク、北朝鮮の秘密核開発の教訓を生かしてIAEAが制定した“抜き打ち査察”を含む「追加議定書」にもいち早く加わって平和利用の証(あかし)を立てている。

 

日本はNPT(核不拡散条約)体制の申し子であり、優等生なのだ。このためIAEAは「査察を手抜きして放置しても核開発に走らない国」として日本を「統合保障措置」の対象国と認めている。それでもIAEAの全査察業務の4分の1は日本の施設に振り向けられてられており、IAEAの最大のお得意さまになっている。 

 

にもかかわらず、海外では日本核武装論が絶えない。日本はいずれ、あるいは今にも核武装するというのだ。この見方は中国、韓国、米政界に根強い。にもかかわらず、というより「だから」というべきだろう。「核」と「原子力」は同じもので、その気になれば、いつでも核兵器製造にとりかかれるからだ。

 

最大の理由は、日本政府は核燃料サイクル完成をめざして、使用済燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、これを燃料として再利用する路線に固執していることにある。青森県六ケ所村には年間8トンのプルトニウムを生産できる再処理工場が完成、現在、試験運転中である。

 

福井県敦賀には、プルトニウムを燃料とする高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」が待機している。「もんじゅ」は1995年12月のナトリウム火災事故のあと13年半、停まったままだ。

 

いずれも本格運転開始が遅れている。その間プルトニウムは貯まる一方だ。英仏両国に再処理を委託した分も合わせると42トンに達し、民生用のプルトニウムとしては世界最大規模を日本が保有していることになる。そこに日本核武装論が突け込む余地があるわけだ。

 

備蓄プルトニウムを減らすための苦肉の策として、日本政府は既存の軽水炉(16−18基)のウラン燃料にプルトニウムを混合した“MOX燃料”を消費するプルサーマル計画を進めているが、これも九州の玄海原発など一部を除いて地元の理解が得られず、2015年までということで先送りされた。

 

そうした中で、隣国の北朝鮮がミサイル発射、核実験をくりかえし、身内の自民党国会議員までもが「日本も核武装を」と言い出す始末で、「核燃料サイクル確立は核保有に通じ、原発は核拡散に道を開く」と主張する反核運動家を勇気づける結果になっている。

 

日本政府は、原子力推進には3Sが有効と主張して、Safeguard(保障措置)、   Safety(原子力安全)、Security(核セキュリティー/核テロ対策)の普及に努めているが、これはむしろ下手な語呂合わせで、核不拡散は単にIAEAの保障措置だけで守れるものではない。北朝鮮に核開発を諦めさせ、朝鮮半島非核化を実現するだけでも至難の業になっているのが昨今の状況である。

 

いずれにせよ、読者諸氏には、原爆(核兵器)と原発(原子力)が同根・同質のものであることを再認識し、核不拡散問題に日頃から関心を寄せていただきたい。

 

「核は廃絶、原子力平和利用は推進」が理想

オバマ米大統領は、ことし4月、訪問先のプラハ(チェコ)で演説、「たとえ私の存命中には実現しなくても、この地上に“核兵器のない世界”を実現したい」と訴えた。歴代大統領で核廃絶に直接言及したのはオバマが初めてだ。

 

現在、米ロ英仏中の5カ国(以上がNPT公認)、これにインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮(以上、非公認)を加えて9カ国が核保有国で、核弾頭の総数はほぼ1万発に達する。このうち米ロだけで9000発を数え、両国が大幅な核軍縮に応じることが当面の課題である。

 

7月のオバマ大統領のモスクワ訪問の際に、両国は今後1500発レベルまで削減することで合意したが、実現には今後数年を要する見込みである。そのあと英仏中も参加して核軍縮交渉が進展するとして、問題は印パ、イスラエル、北朝鮮が核廃棄に応じるかどうかだ。イランのように平和利用と称して着々と秘密裏にウラン濃縮を進めている国もある。

 

核開発には、(1)攻撃用兵器の所有 (2)安全保障(抑止力) (3)ステータスシンボル(国際政治上の特権) (4)国威発揚(ナショナリズム) (5)対米交渉の外交カード、という5つの動機が存在する。ケースバイケースだが、これらの動機をひとつひとつ取り除いていかない限り、核廃絶は実現しない。取り除くには、(地域の)緊張と対立の解消、当該国の民主化、非核地帯の形成、国際社会の一致協力など、長い時間と努力を要する。

 

核不拡散、核軍縮、原子力平和利用がNPTの3本柱だ。これらを同時並行で進めていく必要がある。2001年の同時多発テロに恐れおののいたブッシュ前政権は「核不拡散」ばかりに外交の主力を注ぎ、世界は核廃絶から遠ざかったのが実情である。来年5月には5年ごとの「NPT再検討(運用検討)会議」がニューヨークで開催されるが、オバマ政権にはバランスのとれたアプローチを期待したい。

 

この地上から核兵器が消え、原発だけが安全に稼働し、太陽光・風力発電などの自然エネルギーとあいまって地球温暖化を阻止するというのが21世紀の人類の課題だが、はたして実現するだろうか。私たち日本人も、こうした展望から原子力を位置づける必要がある。

 

安全運転には実績があるが、根強い住民の不信感

次に安全性。安全性とは、放射能漏れ事故をおこさず、原発が安全に運転されることを意味する。さいわい、スリーマイル島事故(1979年)、チェルノブイリ事故(1986年)以来、世界で大事故は発生していないが、ひとたび放射能が外界に飛散すると、プルトニウムのように、半減期が2万年以上という猛毒元素が核燃料に含まれているだけに厄介だ。

 

チェルノブイリ事故の後遺症は深刻である。2005年のIAEAなど関連機関の合同報告書は「最終死亡者は4000人」と推定しているが、ウクライナ、ロシア、ベラルーシの近隣住民の甲状腺がんの発症率は異常に高く、直接・間接の犠牲者は数十万に達するという告発もある。事故直後、旧ソ連当局は暴走した4号機を石棺でおおったが、23年を経て亀裂を生じ、あらたな放射能漏れが懸念されている。このため石棺そのものを巨大なドームですっぽりとおおう工事が総予算15億ドルで、日本を含む23カ国の国際共同プロジェクトとして進行中である。

 

世界的にみると、温暖化対策として原発建設は今後、中国、インドなどの人口稠密の新興国で漸増する見通しで、現在、中国、インドなどの新興国を中心に118基が建設中あるいは計画中である。このため今後、核拡散とともに安全性に問題が生じる可能性がある。

 

日本国内では、原子炉暴走による放射能漏えい事故は起きておらず、死亡事故としては、東海村のJCOウラン加工工場の臨界事故(1999年9月/作業員2名死亡)、関電美浜原発のタービン配管破裂事故(2004年10月/作業員5名死亡)があるだけだが、事業主体や電力会社による度重なるトラブルの隠ぺい工作(事故隠し)、データ改ざん、虚偽申告などで、地元住民の間にすっかり不信感が深まり、温暖化対策としてぜひ原発推進をという世論にはなっていない。政府も電力会社も信用されていないのだ。

 

さらに追い打ちをかけたのが2007年7月、柏崎刈羽原発を直撃した中越沖地震で、放射能漏れは起きなかったが、長期間の運転停止を余儀なくされ、耐震設計の強化の必要が再認識された。その結果、耐震安全性に問題のある中部電力の浜岡原発1・2号機の廃炉が決まった。

 

推進派は、大規模発電、安定供給、エネルギー安全保障、低炭素社会実現への貢献などで原子力の優位性を説くが、社会的受容(public acceptance)は進んでいない。日本の原子力産業は「原発は絶対安全」という“安全神話”の虚構の上に成り立っていただけに、ひとたび崩れた信頼を回復するのは至難の業である。今後は、化石燃料、再生可能エネルギー(太陽光、風力)に対する比較優位性、リスク評価における市民の現実的選択を頼みとして、時間をかけて進めていかざるを得ないと思われる。

 

そこで指摘したいのが広報の重要性である。広報とは不利益をかくして長所ばかりを誇大宣伝することではない。事実を正直に伝えて市民・住民との間に信頼関係をきずくことだ。科学的知見に市民を親しまさせ、「放射能はいたずらに恐れるべきものではない」という啓発・教育も不可欠だ。

 

高レベル放射性廃棄物処理こそ最大の障害

核拡散、安全性、放射性廃棄物という原子力の3大“アキレス腱”の中で、日本にとっていちばん深刻なのが使用済み燃料、とくに高レベル放射性廃棄物処理問題だ。数万年単位で放射線を出しつづけ、高熱を発する高レベル廃棄物は、ガラスを混ぜて固化処理する「ガラス固化法」が最も安全とされ、これをステンレス容器(キャニスター)に注入して、岩盤の安定した地下300メートル以上の地層に永久処分する方式が採用されている。

 

そのための最終処分地を国内のどこかに選定するというのが国際ルールになっているが、原子力平和利用開始以来50年を経て、わが国ではいまだに最終処分地が決まっていないのだ。故武谷三男博士が日本の原子力を「トイレなきマンション」と呼んだゆえんである。

 

使用済み燃料は発電所内のプールで冷却されてから、再処理工場に運ばれ、再処理後、中間貯蔵施設(青森県むつ市)の60年間保管されることまでは決まっているが、それから先は未決定だ。

 

政府はNUMO(原子力発電環境整備機構)という法人組織を作り、公募方式で場所の選定に乗り出したが、成功していない。名乗りを上げるだけで「文献調査」と称して10億円が支給されるというニンジンをぶら下げられて、財政赤字に悩む過疎地の自治体の中には心動かされる市町村長も少なくないようだが、住民の不安と不信は根強く、次々に立ち消えになっている。共通の心理はNIBYNever in my backyard/「自宅の庭にはご免こうむる」)である。

 

2006年には、四国東南部の人口3400の過疎の町、高知県東洋町が応募したが、近隣の市町村、県知事らが猛反対、全国から反核運動家も駆けつけて反対運動をくり広げた結果、町長が辞任、出直し選挙で反対派候補が圧勝し、応募は撤回された。その後、東電の福島第二原発を地元に擁する福島県楢葉町が応募の動きを見せたが、県知事、町会議員らの反対で同じ経過をたどった。他に応募の動きはない。

 

これより先、「最終処分地にはしない」という約束ながら、北海道幌延町、岐阜県土岐市、瑞浪市には「深地層研究センター」が設けられ、地層処分の研究が進められている。地元住民が納得すればいずれも最終処分地として適切のようだ。住民は不安をいだいているが、地元の民意をあまり尊重しすぎると、国のエネルギー安全保障政策は立ち行かなくなる。

 

日本以外では、米国、フィンランド、スウェーデン、フランスが正式に、あるいは事実上、最終処分地を決めている。日本と違って、何よりも広大な無人地帯が存在することが利点である。

 

米国はブッシュ前政権がネヴァダ州ユッカ(英語の発音はヤッカ)マウンテンを最終処分地として選定したが、オバマ政権はこの決定を棚上げし、予算を減額してしまった。しかし復活の可能性は残されている。遅かれ早かれ、最終処分地は不可欠なのだから。

 

フィンランドは、オルキルオト原発所在地(ユーラヨキ自治州)を最終処分地とする法案が2001年、国会で承認され、04年から建設されている。スウェーデンは、すでに1980年代に中部東海岸のフォルスマルク(エストハンマル自治体)を候補地として選定済みだったが、ことし6月、最終処分地に正式に決定した。いずれも無人地帯で、頑強で亀裂の少ない花崗岩の地層で地下水も少ない適地。そこの500メートルの深さに貯蔵される見込み。操業開始は2020年前後。

 

フランスも、ドイツ国境に近いビュール(ムーズ/オートマルヌ両県県境)という過疎地を向こう100年間、高レベルの貯蔵場所として住民の承諾を得た。事実上の最終処分地だが、100年後に改めて民意を問い、必要なら移転できる可能性を残している。「科学的知見では数十万年の安全管理を保証できるが、いくら安全だと訴えても住民は納得しない。100年経てば世代は代わり人間の意識も変わる。最終決定を次世代に委ねることにした。無責任なのではない。将来の世代に発言権を与えることなのだ」とフランス政府当局者はいう。フランスらしい合理的な解決策だ。

 

スイス、韓国も選定の準備が進んでいる。原発先進国で全く白紙なのは日本くらいだ。日本もいつまでも「トイレなきマンション」で不自由な思いをせず、発想の転換をするか、あるいは海外に処分地をさがして交渉してはどうか。そうでないと日本の原子力産業は高レベル処分問題でいずれ行き詰まることになる。

 

以上が原子力をめぐる世界と日本の現状と当面の成り行きである。今後も折にふれて新展開を報告したい。 【『広領域教育』2009年7月号】

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