2006年11月01日
日本核武装論を嗤う/核武装はしたくても出来ない仕組み
中川昭一・自民党政調会長の「核武装議論すべし」の発言以来、日本核武装論が再燃しているが、日本は核武装したくても絶対にできない仕組みになっていることを理解した上で議論して欲しい。北朝鮮の核実験が北東アジアの脅威であることに異論はないが、いたずらに対抗意識と敵愾心で日本核武装を説いても不毛な議論でしかない。
ヒロシマ・ナガサキを体験した日本国民は核アレルギーが強く、永らく日本核武装論はタブーだった。わが国では現在、55基の原発が稼動し、電力の40%近くをまかなっているが、これも「民主・自主・公開」を原則に平和利用に徹することを誓った「原子力基本法」によっている。
核兵器も原発もウラン・プルトニウムを材料とする点で同じもの、英語ではどっちも nuclearで表記するが、日本語にだけ「核」と「原子力」という別な言葉が存在し、両者を巧みに使い分けている。「核燃料」という時以外は前者が軍事利用、後者が平和利用だ。
日本核武装論が台頭したのは、米国の「核の傘」があてにならないという対米不信感と核保有国である中国の脅威が顕在化して以来だ。あるいは対米自立が背景にある。確かに米国は自国の安全をも賭してまで、核で同盟国を守ろうとしたことはない。フランス、イスラエル、パキスタンが核開発に走り、独自の核抑止力保持に狂奔したのはいずれも対米不信感によるところが大きい。
現在、再燃している日本核武装論は北朝鮮に対する憎悪と敵視感情だ。「あんな国になめられてたまるか」という蔑視と差別感情だ。日本人拉致に対する怒りと同根である。
しかし、そんな動機で日本が核武装できると思ったら大間違いだ。まがりなりにも核拡散に歯止めをかけているNPT(核不拡散条約)体制もIAEA(国際原子力機関)の査察システムも、もともと日本とドイツの核武装を阻止するために考案されたもので、日本が脱退すればNPT体制は全面的に瓦解し、世界的規模で核拡散が起きることになる。米国がこれを容認する筈がない。ブッシュ政権の要人や議会指導者の口から出る日本核武装論は、あくまでも中国や北朝鮮を牽制するための政治的発言であること知るべきだ。
それよりも日本核武装論を勇ましく説く政治家や評論家は、日本が北朝鮮のようにNPTを脱退しさえすれば核開発できると思い込んでいるようだが、ひとかけらのウラン鉱も産出せず、燃料の濃縮ウランも国内需要を満たせない日本は、石油と同じく100%海外に依存しており、たとえ数グラムでも軍事目的に転用すればたちまち供給がストップすることになるのだ。日米はじめ、日英、日仏、日豪の各原子力協定はすべて「平和目的に限る」と規定しており、核開発の素振りでもみせたらただちに失効する。半年後には日本の原発はすべて停止に追い込まれる。それでもいいのか、皆さん、そこまで考えて議論しているのだろうか。
【『ポリシーフォーラム』2006年11月1日号】