2007年5月15日
8回目の北朝鮮訪問記/活況を呈する開城工業団地
平壌外国語大学に日本語図書を寄贈
4月中旬、学者・ジャーナリスト・大学生ら8人を率いて訪朝した。私としては金日成急死直後の1994年いらい8回目だ。
その間、北朝鮮は未曾有の大水害に見舞われ、慢性の食料不足を呈した。私が民間レベルの人道支援に乗り出したのが1995年暮、それから12年、医薬品支援を2回、穀物支援を2回、現金支援を2回行ってきた。
一週間の滞在中、首都平壌は停電もなく、金日成生誕95周年の「太陽節」を迎えて華やかな雰囲気に包まれていたが、地方のインフラはズタズタで、鉄道線路は錆びつき、電線は垂れ下がっている。その意味で、ことし2月の6者協議の「北京合意」は、米朝・日朝国交正常化を謳い、長期にわたる経済・エネルギー支援を約束しており、北朝鮮にとって有利な内容を盛り込んでいる。期限は遅れても北朝鮮が合意を履行するのは確実だ。
今回の訪朝の主目的は、2年前の訪朝時の約束に従って平壌外国語大学日本語科に日本語図書と教材を寄贈することで、8人で150冊以上の古典・現代文学の代表作、日本語研究の文献などをスーツケース一杯に詰めて持参した。同大学日本語科は、日朝国交正常化近しの期待が高まった1990年代に志望者が急増し、99年に、英語、ロシア語、中国語に次いで「学部」に昇格したものの、拉致問題で日朝関係が悪化し、今年度から再び「学科」に格下げになってしまった。「今回、寄贈した教材で日本語を磨いてくれればきっと将来役に立つ。日朝は互いに引っ越していけない隣国同士。長期的に取り組んでいこう」と学生たちを激励してきた。
活況を呈する開城工業団地
前回の訪朝では素通りだったが、開城工業団地訪問が今回は実現した。日本人代表団が北から工業団地訪問を許されたのは初めてで、2003年12月にオープンして以来、南北協力のシンボルとして着実に進展し、すでに韓国の中小企業300社が進出、毎日200人の韓国人技術者と管理職が非武装地帯を越えて、バスの専用道路を利用して通勤してきており、北朝鮮の労働者2500人が彼らの指導の下で働いている。
2年前には総面積2000万坪の敷地がほとんど更地だったが、見る見るうちに次々に工場が建ち、すでに5万坪の土地に工場が建っている。これが年内には10万坪に広がり、進出企業も700社に達する見込みだという。いまのこころ「現代グループ」傘下の中小企業が中心で、服飾、日用品、製薬、簡単な精密機械に限られるが、職種は次第に広がっている。
私たちはロマンソンという韓国の時計メーカーの腕時計組立工場を見学した。言葉が同じで、北の労働者は勤勉で手先が器用なので、競争力では日本、中国に負けないと韓国人工場長は自信をのぞかせた。韓国人労働者の平均賃金が月額3000ドルなのに対し、北は70ドル。この格差が国際競争力の秘密兵器になっている。
「5年後の2012年にはバイオ、電子工業、IT(情報産業)の生産拠点をここに移し、北の労働者10万人を雇用することになる。開城は朝鮮半島の中心に位置し、物流の拠点としても地の利があるところから、将来は北東アジアのシリコンバレーを目指している」と、全事業を統括している現代峨山の徐禮澤・開城事務所長は誇らしげに語っていた。その言葉を、同席している北側の関係者が大きくうなずきながら聞いていた。南北の信頼醸成はかなり進んでいる。
最近締結された米韓FTA(自由貿易協定)で米側は難くせをつけ、「開城工業団地の製品を韓国製とは見なさない」と異議を唱えたが、韓国は「韓国産の域外製品」を主張して譲らなかった。「開城」は、既成事実としてもはや後戻りできない段階に達している。
中国商品が溢れる自由市場
平壌市街の「自由市場」には中国製品が溢れ、中国経由で入ってくる日本製品にも事欠かない。「平壌ホテル」の焼肉料理店「アリラン」の主人は、「調味料以外は日本製品は何でも手に入る。不自由はない」と語る。そこへウェートレスがやってきて私たちに訊いた。「ビールはキリン、アサヒ、サッポロ、どれにしますか」。日本の経済制裁は何の効果もあげていない。在日朝鮮人に対する弾圧と迫害に利用されているだけだ。
滞在中、宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使とも旧交を温めた。彼は自信ありげに断言した。「安倍晋三は、横田めぐみ以下8人死亡の事実を知りながら拉致を政治目的に利用しているが、まもなく墓穴を掘るだろう。日本を動かすのはわけない。アメリカを動かせば日本は簡単に動く」。
【『民族時報』2007年5月15日号】