2007年3月01日
「北京合意」の意義を見誤るな/目標は「朝鮮半島非核化」
圧倒的多数の日本人が「合意」を信用せず
2月21日付の読売新聞世論調査によると、北京の6カ国協議「合意」で北朝鮮の核問題解決を「期待できる」と答えた日本人は18%、「期待できない」とする日本人は79%に達した。国のイメージはメディアの報道と解説で形成される。日本では「北朝鮮は信用できない国」という評価が定着しているわけだ。
他方、日本人の81%が「拉致問題に進展がない限りエネルギー支援はしない」という安倍内閣の方針を支持しているものの、その結果、「拉致問題が解決に向かう」と期待する日本人は24%にすぎず、「期待しない」日本人が71%に達している。つまり日本国民は安倍内閣の強硬策を支持しながらも拉致問題が解決するとは思っておらず、悲観的見通しをもっていることになる。拉致問題の解決は期待できないのに強硬策を支持するとは無責任ではないか。
核問題に論点をしぼろう。北朝鮮にすれば、米国の「北朝鮮敵視」政策、とくにブッシュ政権の「金正日体制転覆」政策で何度も騙され、裏切られてきたという思いが強い。それだけに「今度こそは」という悲壮な決意が「合意」から読み取れる。
日米韓など「言論の自由」の存在する先進諸国で北朝鮮のイメージが悪く、信頼されていないのは、国際社会に対する情報発信能力が劣り、情報操作が下手くそだからだ。大時代がかった朝鮮中央テレビのアナウンサーの「朗読」と味も素っ気もない朝鮮中央通信の「公式発表」だけでは、情報化社会の言論戦争で勝ち目はない。日本の朝鮮総聯も本国の「大本営発表」をオウム返ししているだけで、当意即妙に日本国民の理解を得ようとする努力に欠ける。というより言論活動をする自由が本国から認められていないのだ。
目玉は重油獲得の「取引き」に非ず
日本のメディアは、6カ国協議の合意が寧辺の核施設放棄のための稼動停止と封印の見返りに重油5万トン、さらにすべての核計画の申告とすべての既存の核施設の無能力化の見返りに95万トン、総量100万トンを提供するという「取引き」にばかり注目しているが、ピント外れも甚だしい。重油提供の量はむしろ少ないのだ。
クリントン政権下の1994年の「米朝枠組み合意」では、米側は寧辺の核施設凍結の見返りに、軽水炉2基ならびに完成までの間毎年50万トンの重油提供を約束、実際に2002年に停止されるまでの7年間に総量350万トンの重油が北朝鮮に搬入されていたのだ。それに比べると全量の100万トンは年間総消費量にも満たない。北は当初400万トン、次いで200万トンを要求、しだいに要求のレベルを下げていったが、それより、彼らが重視する「取引き」があったからだ。
「北京合意」で北朝鮮が最大の外交上の勝利と見なしているのは、「米朝国交正常化に向けて協議を開始し、テロ支援国家指定を解除する作業ならびに対敵通商法の適用を終了する作業を開始する」という項目である。米朝国交正常化と経済制裁解除こそ北朝鮮が悲願としてきたもので、そもそも核開発はそのための交渉カードとして始めたのだ。
金正日は「核」を手放す/「核」と心中はしない
2月16日、北朝鮮が「核保有国として」金正日総書記の生誕65周年を祝賀したことからも、ひとたび手中にした核兵器を手放すことはないという見方が圧倒的に多いが、はなはだ表面的、皮相的な観察である。
今回の「合意」の基礎となっている2005年9月19日の「共同声明」では朝鮮半島の非核化を確認し、「合意」は「共同声明実施のための初期段階ならびに次の段階の措置」と位置づけている。米朝間に対立と緊張関係がなくなれば核保有する意味は薄れてくる。核廃棄に応じないかぎり、北に対する大規模援助は届かないことを金正日総書記は熟知している。
同時に2005年の「共同声明」は北朝鮮のNPT(核不拡散条約)復帰を謳っている。NPTは北を「核保有国」(条約上の表現は「核兵器国」)とは認めず、北は「非保有国」としてNPTに復帰し、IAEA(国際原子力機関)の査察を受けなければならない。そうしなければ米朝国交正常化も進まず、援助も来ない。「核保有国」として事実上黙認されているインド、パキスタンと比較するエセ専門家がいるが、両国は当初からNPT非加盟国だ。
同様に、ウラン濃縮計画を隠匿し続けていたとしても、兵器化のプロセスでいずれ露見することになる。小規模な秘密計画なら、これまでにも韓国、台湾、ブラジル、アルゼンチンなどが試みている。兵器化には大規模な工場建設が不可欠で、現在イランが国連安保理決議を無視して、中部のナタンツで挑戦している。1997年に採択されたIAEAの「追加議定書」に加入すれば、ウラン濃縮を含む秘密核開発はほぼ不可能となる。朝鮮半島非核化のために、北朝鮮も早晩、「追加議定書」加入を求められることになろう。すべて、北朝鮮が主張してきた「約束対約束、行動対行動」の原則で進められることになるのだ。
【『ポリシーフォーラム』N0.33/2007年3月1日号】