2006年1月10日
小泉首相は歴史に何を残すのか
2006年9月に引退を明言している小泉首相は5年半の在任中の功績として何を残すだろうか。
郵政民営化をはじめ一連の構造改革、既得権に巣食う自民党族議員を一掃し、派閥政治を解消した政治改革・・・・・国内政策の功績は特記に値する。「勝ち組・負け組」の格差拡大の弊害はあるものの、バブル崩壊後「失われた10年」を経験した日本経済は本格的に回復、株価も上昇している。
しかるに外交はどうか。「脱亜入米」が顕著になった5年間だった。
第一に、“ブッシュのポチ”と化して、常軌を逸したブッシュ政権の対テロ戦争を無条件支持、“間違った情報”にもとづく「イラク侵攻」も支持、自衛隊をサマーワに派遣した。「イラク特措法」は自衛隊の役割を「人道・復興支援」に限定、派遣地域も「非戦闘地域」に特定しているが、自爆テロ頻発で治安は最悪、宿営地にロケット弾も撃ち込まれている。それでも小泉氏は「自衛隊のいる所がすなわち非戦闘地域」と強弁し、派遣期間延長を決めた。
第二に、違憲判決まで出た靖国参拝を毎年強行し、中韓両国との関係が最悪となった。「政冷経熱」といわれた日中関係は「政凍経涼」となり、貿易にも影響が出ている。相変わらずの日本国内の“韓流ブーム”をよそに日韓関係も緊張している。このため12月、クアラルンプールで開催された東アジア・サミットでは日中・日韓の首脳会談は実現せず、日中の指導権争いで東アジア共同体創設の枠組みがまとまらず、実現は遠のいた。
そうした中で、小泉首相には“宿題”が残っている。日朝国交正常化である。
2002年9月の訪朝時の『平壌共同宣言』署名は歴史的快挙だった。北東アジアの多国間安保の可能性にも言及、その後の6者協議開催も予言している。「小泉訪朝は日本が独立国として対米追随から脱する好機」とニューヨークタイムズが礼賛した。
ところが金正日総書記が拉致を認め、謝罪したことが逆効果となり、日本の世論が暴走、5人の生存・帰国による“幕引き”で合意していた日朝の外交当事者の目算は外れ、“北朝鮮バッシング”の大合唱となった。拉致被害者家族は、政府認定の残り10人の「全員救出」を叫んで経済制裁を要求、各地で国民大集会を開催、人情素朴な日本人の涙を誘い、ナショナリズムを煽っている。彼らの背後勢力の狙いは日朝国交正常化反対、金正日体制打倒にあるが、中韓両国が北朝鮮に対する本格的支援に乗り出し、北東アジア経済圏形成に本腰を入れている折から、国民主導の対北朝鮮敵対政策は、こうした流れに逆行し、北東アジアにおける日本の孤立を意味する。
小泉首相は、高水準の支持率に支えられた国民的人気を背景に“宿題”を片付ける責任がある。日朝国交正常化は日本の国益であり、中韓両国との関係改善にも役に立つ。プーチン大統領の態度硬化で北方領土返還の見通しも遠のいた現状で、小泉氏が彼自身の功績として歴史に名を留めることのできるのは日朝国交正常化しかない。しかも自らが署名した『平壌共同宣言』を履行するだけの話なのだ。
【『ポリシーフォーラム』2006年1月10日号】