2005年10月21日
「6者協議」共同声明後の米朝関係
9月に北京で開催された第4回6者会談第2ラウンドでは、朝鮮半島非核化の平和的実現を目標とすることなどを明記した共同声明が発表された。次回5回会談は11月上旬に北京で開催される予定だ。共同声明の意義などについて、大阪経済法科大学の吉田康彦教授に聞いた。吉田教授は国連、核拡散問題、朝鮮半島が専門。1986〜89年に国際原子力機関(IAEA)広報部長を務めた。
―共同声明の意義について。
ブッシュ米政権の譲歩だ。朝鮮の核問題をこれ以上放置できない、かといって軍事的解決、力による抑え込みはできないと判断し政策転換を余儀なくされたのだ。。
ブッシュ政権が発足して最初にやったことが、クリントン政権8年間の見直し。ABC(Anything But Clinton)政策だった。それは朝鮮の核問題に関する「枠組み合意」(朝米基本合意文)の破棄はもちろん、京都議定書、CTBT(包括的核実験禁止条約)からの離脱なども含まれる。、小型核弾頭開発も再開し、核軍縮の流れも止まった。NPT(核拡散防止条約)再検討会議も決裂に追い込んだ。
しかし、今回の共同声明を見ると、94年の「枠組み合意」を踏襲している。そのやり直し、仕切り直しだ。6者が署名した北東アジア集団安保条約だといえる。
1期目に決定的影響力を持っていたネオコンの影響力が低下した。イラクでは彼らの意見を尊重したために泥沼化した。その結果、ライス国務長官に朝鮮政策を白紙からやり直すフリーハンドが与えられることになった。
共同声明署名に至るまでの間に米朝直接対話が復活したことは大きい。署名までに13回行われた。これまでブッシュ政権は「対話はすれども交渉せず」との立場を貫いてきたが、今回は真剣に対話し交渉した。ブッシュ政権が譲歩したことを示す具体的実例だ。
ただ、米朝間の相互不信は根深い。それをどう埋めるかが今後の課題だろう。
―米国は「先核放棄」、朝鮮は「先軽水炉提供」と、真っ向から対立しているようだが。
朝鮮側は、核の廃棄には応じるが「同時行動の原則」でないと受け入れられないとの立場だ。一貫して言っているのは「言葉対言葉」「行動対行動」の原則。これが共同声明に盛り込まれたことは、この立場を議長国の中国はじめ、ロシア、韓国が支持したわけで、朝鮮外交の勝利だ。
後は具体的な詰めによる「条件闘争」になる。米国もこの土俵に乗ったわけだから、この原則にのっとって交渉を継続することになるだろう。
朝鮮の目的は核保有ではなく朝鮮半島の非核化だ。非核化で狙っているのは民族統一だ。何年かかっても交渉で実現していく。これが朝鮮の基本的な姿勢であり悲願だ。これを盧武鉉政権も理解していて、「民族共助」の立場で協力している。
―共同声明には、朝鮮が核の平和的利用権を有していることを尊重することが明記された。
朝鮮にとってこれは絶対に譲れない権利だ。
朝鮮の原子力平和利用の歴史は古い。50年代から旧ソ連に留学生を派遣してきた。59年にはソ連との間で原子力平和利用協定を結び、大規模な技術導入を行っている。
金日成主席自身、折に触れ原子力の平和利用について語ってきた。例えば、76年には金日成総合大学の教職員らを前に、「われわれが原子力の研究を進める目的は、原子爆弾の製造にあるのではなく、原子力を動力源にして人民経済の発展をはかろうとするところにあります」と強調している。
平和利用の点で、具体的には軍事転用しにくい軽水炉提供を求めていた事実がある。
IAEAに勤務していた際に聞いた話だが、朝鮮側は旧ソ連のコスイギン首相に対し、加圧水型軽水炉VVERの提供を要請したという。しかし、最終的にソ連が応じなかったため、朝鮮側は70年代半ばから自力で研究を開始し86年に出力5千??の実験用原子炉を完成させた。当初から軽水炉提供を望んでいたことを考えると、核兵器開発のために原子炉を作ったわけではないことは明らかだ。
原子力の平和利用の権利はNPT第4条でも保証されている。朝鮮はNPTから脱退した状態だが、NPTに復帰しIAEAの査察を受け入れれば、米国としても平和利用を拒否する理由はない。
―今後の見通しは。
11月上旬に開催が予定されている第5回会談から、ひとつひとつ具体的に詰めていくことになろう。
朝鮮外務省スポークスマンは共同声明発表直後の談話を通じて、軽水炉提供が先だと言ったが、これは駆け引きで先手を打ったもので、実際には「同時行動原則」で進むだろう。何をどこまで同時とするかはこれからの交渉で煮詰まってくるだろう。
ただ、今後の動きは6者会談、米朝関係だけでなく、さまざまなファクターに影響されると思われる。イラク情勢やイランの核開発問題などの行方も見据えていく必要があるし、米国内の経済問題やハリケーンの後始末でブッシュ政権の支持率が今後どうなるか、ということなども関係してくるだろう。(文責編集部)
【『朝鮮新報』2005年10月21日付】