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プロフィール

吉田 康彦

吉田 康彦

1936年東京生まれ
埼玉県立浦和高校卒
東京大学文学部卒
NHK記者となり、ジュネーヴ支局長、国際局報道部次長などを歴任

1982年国連職員に転じ、ニューヨーク、ジュネーヴ、ウィーンに10年間勤務

1986−89年
IAEA (国際原子力機関)広報部長

1993−2001年
埼玉大学教授
(国際関係論担当)
2001-2006年
大阪経済法科大学教授
(平和学・現代アジア論担当)

現在、
同大学アジア太平洋研究センター客員教授

核・エネルギー問題情報センター常任理事
(『NERIC NEWS』 編集長)

NPO法人「放射線教育フォーラム」顧問

「21世紀政策構想フォーラム」共同代表
(『ポリシーフォーラム』編集長)

「北朝鮮人道支援の会」代表

「自主・平和・民主のための国民連合・東京」世話人

日朝国交正常化全国連絡会顧問

学歴・職歴

北朝鮮人道支援の会

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北朝鮮
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2008年7月05日

朝鮮半島非核化の展望と日朝関係<<「軍縮問題資料」8月号>>

「朝鮮半島非核化」の意味

本稿では、主に核問題を論じるが、後半で日朝関係にも触れたい。次期米大統領選に臨む共和党マケイン、民主党オバマ両候補も確定して、残り任期半年のブッシュ大統領はますますレームダック化しているが、朝鮮半島非核化だけは実現の目途をつけて、自らの引退の花道を飾りたいと執念を燃やしている。

 

日本のメディアは「朝鮮半島非核化」といわず、「北朝鮮の核廃棄」と呼んでいるが、現在の交渉の基礎をなす6者協議の「共同声明」(2005年9月19日)は、「朝鮮半島非核化を目的とする」と謳っており、北朝鮮の核廃棄だけでこと足りるわけではない。

 

米国にすれば、中東地域(たとえばシリア)に対する秘密裏の原子炉輸出などを北朝鮮が自粛すすることは当然だが、そのためにも朝鮮半島全域が非核化されなければならない。1992年の「南北非核化宣言」で、北朝鮮も韓国も、核兵器開発・所有のみならず、ウラン濃縮も再処理(プルトニウム生産)も放棄することを誓約しているが、北が違反しているのは周知の事実。韓国も秘密裏にウラン濃縮と再処理に手を染めていたことが最近IAEA(国際原子力機関)の調査で明るみに出たが、IAEA理事会の警告で一件落着している。

 

それよりも北が重視しているのは、朝鮮半島が米国の核攻撃の脅威にさらされないようになること、つまり米国が北朝鮮に対する敵視政策を撤廃することである。北が「テロ支援国家」指定解除に固執するのはそのためである。

 

冷戦終結後、盧泰愚・韓国大統領が「核不在宣言」を発し、在韓米軍は核弾頭を撤去したが、核弾頭搭載の米軍艦艇が西太平洋海域を徘徊していることは周知の事実で、仮想敵は北朝鮮である。

 

北京合意の「第1段階」は完了

2006年7月の北のミサイル発射実験、同10月の核実験、同11月の米中間選挙における共和党大敗で、ブッシュ大統領は対北封じ込め政策転換を余儀なくされ、米朝直接対話に踏み切った。そのあと2007年2月の6者協議で成立したのが「2・13北京合意」だ。

 

合意の「第一段階」では、北が寧辺の5メガワット黒鉛減速炉、核燃料製造工場、再処理工場の「稼動の停止」に応じ、これらを封印。その見返りに5カ国側が重油(相当)100万トン供与に同意。拉致問題未解決を理由に一切の支援を拒否している日本を除く4カ国が分担することにして、まず手はじめに韓国が重油5万トンを提供した。

 

しかし北が米財務省の金融制裁解除を要求、これを「第一段階」実施にからめたため履行がずれ込んだが、注目すべきは、ブッシュ政権がそ知らぬ顔で北の要求どおりに全面解除したことだ。

 

金融制裁というのは、北当局が、偽ドル、偽タバコ、麻薬売り上げのマネーロンダリング(資金洗浄)のためにマカオのバンコ・デルタ・アジアを利用しているとして、同行に預金されていた2500万ドルを凍結したことを指すが、2007年1月、独紙フランクフルターアルゲマイネが「偽ドルは米CIA(中央情報局)が印刷、流布したもので、米国の自作自演」と報道、スイスの新聞もこれに続き、真相をウヤムヤにいたまま財務省は全面解除に応じた。最後は、プーチン大統領(当時)に要請し、ロシアに仲介してもらって、ロシアの銀行経由で全額自由に他行に送金してもらえるよう手配までした。北のご機嫌を損じまいとするブッシュ政権の配慮がにじんでいる。

 

金融制裁は「9・19共同声明」直前の9月16日、国務省の反対を押し切って、財務省が偽ドル防止の国内法を発動して一方的に実施したもので、米朝対話を阻止しようとするネオコン一派の差し金であることが明白になった。この顛末を日本のメディアは全く伝えていない。

 

「第2段階」もネオコンの妨害で遅滞

このあと、2007年10月の6者協議で、北は既存の核施設を「無能力化」し、全核計画を「申告」することに同意、これらを年末までに完了する手筈になっていたが、ここでもチェイニー副大統領率いるネオコン勢力が陰に陽に履行を妨げた。

 

「無能力化」とは、寧辺の前出3施設のうち、原子炉からは8000本の燃料棒を抜き取って再処理できないようにするとともに、炉の部品を取り外し、さらに冷却塔を爆破し、その模様をテレビ中継して全世界に公開することで米朝の合意が成立している。北としては、見返りとしての「テロ支援国家」指定解除を待ってゴーサインを出す段取りになっている。

 

他の2施設、燃料棒製造工場と再処理工場についても、部品抜き取りと部分解体の作業が進んでおり、「向こう1年間、再稼動できなくする」というのがブッシュ政権の意向である。

 

この作業は順調に進み、2007年末にも完了可能だったが、見返りの重油45万トン(「第1段階」で5万トンは引渡し済み)と残り50万トン相当のエネルギー関連資材(電線、機械類)の到着が遅れ、「9・19共同声明」で確認し合った「同時行動の原則」が守られていないとして北が牛歩戦術に持ちこみ、6月までずれ込んでいる。「これも米国からの分についてはネオコンがサボタージュさせているからだ」と北の関係者はいう。

 

もっと深刻なのが「(北の全核計画の)申告」をめぐる対立である。北は一貫してウラン濃縮計画もシリアへの原子炉密輸疑惑も否定、なんとか合意をまとめたい米国は玉虫色の解決策を模索、両論併記の形で決着させることで、ヒル米首席代表(国務次官補)と金冠官(日本のメディアは「寛」の字をあてているが、本人に確認したところ、「官」が正しい)外務次官の間で妥協が成立。「米国は北のウラン濃縮計画とシリアへの核技術供与に関心を払い、これを憂慮する。北はその憂慮を理解する」という文言での決着で合意していた。

 

テロ支援国家指定は国務省の管轄だが、解除に際しては「敵国貿易法」の適用を除外する手続きを伴い、これは議会の承認を要する。そこに目をつけたのがネオコンで、議会の承認を得られなくするために、イスラエル当局と共謀して、北がシリアで寧辺のものと同型の原子炉を建設していた証拠ビデオを提出、4月24日、公聴会を開催して指定解除反対のキャンペーンを展開、このため指定解除が先送りされたが、6月26日、北が6者協議の議長国・中国に「申告」を提出したのを確認して、ブッシュ大統領がようやく指定解除の手続きをとった。

 

最終的には、たとえ議会の承認が得られなくてもブッシュ大統領に議会の決定をくつがえす権限があるので指定解除は実現するが、今後もネオコンの抵抗は続くであろう。

 

要するに北朝鮮が一方的に難くせをつけて合意の履行を遅らせているわけではないことを知るべきだ。北は一方的な核廃棄に追い込まれることを警戒して「同時行動の原則」に固執しているわけだ。「テロ支援国家」指定を米国の対北敵視政策のシンボルとみなしており、指定解除が実現しないと核廃棄のプロセスも進まなくなる。

 

ネオコンがなぜ米朝合意に反対しているのかといえば、彼らの目には金正日体制が自由と人権を抑圧する全体主義国家と映っているからだ。彼らが目ざすものは、そのような政権を転覆し、米国流の民主主義を世界に広めることにある。ブッシュ政権1期目の世界戦略はネオコン主導で進められ、イラクでは手痛い失敗を喫したものの、朝鮮半島では金正日体制不承認を貫き、経済的に追い詰めてレジームチェンジ(政権転覆)に持ち込む企みを断念していない。ネオコン一派はブッシュ政権2期目にほぼ総退場したが、チェイニー副大統領は健在だ。

 

もちろんネオコンの存在だけが米朝合意の阻害要因だと強弁するつもりはない。米朝間の相互不信もかなり根強い。要するに、北が駆け引き上手なことは万人の認めるところだが、ブッシュ政権期限内に国交正常化に持ち込みたいという思いは双方に共通している。平壌の首脳部にもその気持ちは強く、筆者が5月に訪朝した際も、言外に期待をにじませていた。

 

問題は、拉致問題で世論に迎合している日本のメディアが、北朝鮮報道ではネオコン一色に染まり、彼らと軌を一にして、「北が引き延ばし戦術に出ている」「核廃棄に応じようとしない」「拉致問題が未解決であるかぎりテロ支援国家指定解除すべきではない」などという見出しを並べ立てて、日本の読者に真相を伝えていないことだ。

 

「金正日は核を手放さない」という思い込み

ネオコンも日本の識者の大半も、「金正日は絶対に核(兵器)を手放さない」と固く信じている。彼らはいう。「北朝鮮は貧しいアジアの小国。核がなければ誰も振り向いてくれない。超大国アメリカ相手にしたたかに立ち回れるのは核のおかげだ。だから金正日は死んでも核を手放さない」。はたしてそうか。

 

北が核抑止力を武器にブッシュ政権と互角に立ち回っていることは事実だが、核保有国である続けることが北の国家目標であるとは思われない。というより、北が核に固執するかぎり、たとえテロ支援国家指定解除を取りつけても、米朝平和条約締結、米朝国交正常化は期待できないのだ。北は寧辺の施設の解体に同意し、プルトニウムの備蓄も差し出そうとしているではないか。北が核を保持したいなら、そんな取引に応じるはずがない。

 

「9・19共同声明」は、朝鮮半島非核化確認の手立てとして、第一項で北朝鮮のNPT(核不拡散条約)ならびにIAEA(国際原子力機関)復帰を明記しており、それこそが6者協議の目的とされているのだ。同時に、NPTは米ロ英仏中の5カ国のみを核兵器国(核保有国)と認定、それ以外の国はすべて核開発・取得・保有は禁じられており、そのためにIAEAの査察を受けなければならない仕組みになっているのだ。

 

北朝鮮が核を放棄しないかぎり、そしてこれが検証作業(IAEAの査察)で立証されないかぎり、朝鮮半島非核化が達成されたとは確定できず、見返りとしての米朝国交正常化も実現しない。「9・19共同声明」によれば、米朝と並んで日朝国交正常化も同列におかれており、非核化の見返りという位置づけになっている。しかるに日本国民の関心が拉致問題にしかないのは、あまりに自己中心的、近視眼的といえるのではないか。

 

北朝鮮は原子力平和利用先進国 

北朝鮮は当初から兵器としての核開発を企てていたという固定観念が強いが、これも政治的偏見であり、先入観だ。北朝鮮の原子力開発の歴史は日韓に劣らず古く、1953年の朝鮮戦争終結にさかのぼる。

 

おりしも1953年はアイゼンハワー大統領が「平和のための原子力」(Atoms for Peace)を国連総会で提唱した年だった。相前後して商業用発電炉が次々に建設され、54年には旧ソ連のオブニンスクで世界初の商業炉が送電を開始、55年英国、57年米国が続いた。

 

1956年、訪ソして原子力発電所を見学した金日成首相(当時)は深い感銘を受け、北朝鮮にも導入したいと熱望、モスクワ郊外のドゥブナ原子力研究所に年間100名もの原子力留学生を派遣している。59年には「ソ朝原子力平和利用協定」を締結、61年の第4回党大会では原子力をエネルギー源として重視する決定を採択している。

 

1962年ソ連の援助でIRT2000(2メガワット)と称する研究用原子炉(軽水炉)を建設、65年臨界に達している。74年平和利用を重視した「原子力法」を制定、同年IAEA(国際原子力機関)に加盟、「保障措置協定」を結んでいる。76年に金日成は自らの名を冠した「金日成総合大学」で演説し、「わが国の原子力研究は国内の豊富なウラン資源を活用して原子力発電を興し、人民経済を発展させることにある」と強調。次いで80年の党大会で「原子力平和利用」と国家目標の柱に掲げている。

 

以上、北朝鮮の原子力開発の歴史を振り返ったが、この時点で金日成が核開発(軍事転用)を企図していたとは思われない。少なくとも金日成が当初から核開発を目指していた兆候は全くない。あればKGBという諜報組織をもつソ連が黙認し、原発建設に協力した筈がない。

 

軽水炉取得は金日成・金正日の悲願

ソ連はコスイギン首相時代に大型軽水炉VVER4基を北朝鮮に提供する約束をしていたが、これを反古にしたのは85年に権力の座についたゴルバチョフだった。彼はペレストロイカの名の下に旧ソ連圏の相互援助組織である「コメコン体制」を解体し、衛星国を切り捨てた。やがてソ連は崩壊し、東西冷戦が終結する。

 

北朝鮮も経済、貿易、金融面で大打撃を受けたが、とりわけ電力供給源としてあてにしていた軽水炉4基提供の契約破棄は痛手だった。そのトラウマが、北朝鮮をして(核廃棄の代償として)「軽水炉を提供せよ」と米国に迫る動機づけになっているのだ。1994年10月の「米朝枠組み合意」でも、その後の2005年9月の6者協議「共同声明」でも、見返りとしての「軽水炉供与」が明記されている。

 

後者では「適当な時期に軽水炉供与を協議する」とい文言になっているが、今後の米朝交渉あるいは6者協議の場で、北朝鮮が持ち出してくることは確実である。筆者は平壌市内の三大革命博物館で、北朝鮮国内に発電炉としては存在していない軽水炉の模型が飾られているのを目撃し、注目した。軽水炉取得は金日成の遺訓統治をする金正日の悲願なのだ。

 

これ以上の説明は不要だろう。北朝鮮の核開発はゴルバチョフの裏切りに憤り、冷戦終結必至と見た金日成・金正日父子が1980年代後半に開始したものだ。あくまでも体制生き残りを賭けた対米交渉のための外交カードとして、である。最近、「わが国を核保有国として認知せよ」という趣旨の北朝鮮高官の談話がしきりに伝えられているが、これらはいずれも米国の譲歩(約束履行)を迫る駆け引きだ。北朝鮮は「核保有国」というステータスを夢見ているわけではない。そこがインドとは根本的に異なる点である。

 

福田首相は日朝国交正常化を諦めていない

拉致問題をめぐって日朝関係は膠着状態にあったが、6月11−12日、9カ月ぶりに北京で開催された日朝実務者協議で北朝鮮側が拉致の再調査に応じる意向を示し、日本側も経済制裁の部分解除を決めた。しかし「再調査」とは言葉のごまかしにすぎない。北朝鮮という国は2300万国民がすべて監視下におかれ、どこに誰が住んでいるかはすべて当局(労働党)が掌握している。「死亡」と公表された人間が生き返ることはあり得ない。

 

北朝鮮が「死亡」と発表した横田めぐみ以下拉致被害者8名を「確証がないから」という理由で「全員生存している」という前提で生還を要求し、全容解明、拉致実行犯引渡しを主張しつづけたのが安倍前首相だった。問題は、この強硬策を福田首相が継承したまま「私の手で拉致問題を解決したい」と決意表明して政権の座に就いたことで、福田首相の路線転換は時間の問題だったのだ。「再調査」と引き換えの制裁部分解除は福田色を打ち出すさきがけと見てよい。

 

日朝対話の再開を演出したのはブッシュ政権だ。上段で述べたように、朝鮮半島非核化実現のためには米国は「テロ支援国家」指定解除に踏み切らねばならず、日朝関係を動かすことが不可欠だったのだ。拉致問題をめぐる日朝対立と日航機「よど号」ハイジャック犯の隠匿が指定解除の障害として立ちはだかっていたからだ。

 

永田町に流れている情報では、福田首相は来年9末まで衆議院解散・総選挙は行わず、その間、日朝国交正常化を実現する意向だという。ブッシュ大統領は来年1月の引退までに朝鮮半島非核化に何とか格好をつけて自らの花道とするだろうが、はたして福田首相が拉致問題の真相を国民に語って日朝国交正常化にこぎつけられるかどうか一抹の不安なしとしない。

『軍縮問題資料』2008年8月号特集「朝鮮半島のいま」

 

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