2008年6月06日
米朝合意を間近にしたピョンヤンの空気
本紙で北朝鮮を取り上げて論じているのは私だけだが、今回もあえて取り上げる。大型連休の間9回目の訪朝をしてきた。朝鮮半島非核化実現にはたして真摯に取り組み、どの程度成算をもっているのか、膠着状態の日朝関係打開のためにいかなる対案を準備しているのかをさぐるのが主目的だった。
私は1994年いらい一年おきのペースで訪朝し、本来の学術交流のほかに人道支援と日本語教材支援などを民間レベルで続けているが、とくに過去3年間は毎年ピョンヤンを訪問、市民生活の微妙な変化に注目している。
今回、市民の表情は明るく、血色もよく、街角には「ヒッパラム(口笛)」という国産自動車の看板が登場していた。女性の服装も華やぎ、お化粧も垢抜けしてきていた。1週間の滞在中、停電は一度もなかった。相次ぐ自然災害で、当局が「苦難の行軍」を唱えていた10年前には、滞在していた一流ホテルでも日中と深夜の停電は日常茶飯事だったから隔世の感がある。
ただし地方の農村部の実態はわからない。昨年8月には40年ぶりという大水害が発生、昨年の食糧生産は推定166万トンの不足をきたし、飢餓の発生も予測されているが、ブッシュ政権が3年ぶりに50万トンの穀物支援を再開、「二毛作、品種改良などの農業改革が着実に成果をあげているし、中国と韓国から支援が得られれば乗危機は克服できる」と経済専門家は楽観的だった。
肝心の非核化について、関係者はブッシュ政権のお手並み拝見とタカをくくっていた。「米朝合意を妨げようとするチェイニー副大統領らのネオコン一派が巻き返しに出てシリアへの原子炉輸出疑惑を暴露したりしているが、これはヒル・金桂寛両代表の間ですでに話のついた問題だ。ブッシュ大統領が歴史に名を残し、引退の花道を飾れるかどうかは、この先ネオコンを押さえ込み、テロ支援国家指定を解除できるかどうかにかかっている」と、軍縮・平和研究所(外務省のシンクタンク)の朱王煥室長は余裕ありげに語っていた。
北朝鮮は言を左右にして核廃棄には応じないだろうという見方が日本では強いが、朱室長は一笑に付した。「わが国が核保有国になってどうしようというのか。2005年9月19日の6者協議共同声明は北朝鮮のNPT(核不拡散条約)ならびにIAEA(国際原子力機関)の保障措置復帰を謳っている。核を全廃しなければこれは実現しない。それよりわが国が核抑止力などを必要としない状況を作る責任が米国にはある。唯一の被爆国である日本にもある」。
日朝関係では北の関係者は日本の制裁解除が先決と主張して譲らなかった。日本政府は4月、輸入全面禁止、公務員の渡航禁止、北朝鮮籍の船舶入港禁止などの経済制裁を向こう半年間延長した。制裁は2006年10月の核実験に抗議したものだったが、核廃棄をめぐる米朝合意寸前に制裁を延長するのは本末転倒だ。もちろん延長の真意は拉致問題未解決にある。
しかし北が「死亡」と発表した横田めぐみさん以下8名全員を「日本に返せ」という安倍前首相の要求は非現実的だ。「返された遺骨がニセで、死んだ証拠がない」以上、生きているという前提で圧力をかけ続けるという安倍前内閣の方針をその後も福田首相が継承しているのは理解に苦しむ。福田首相は「自分が拉致問題を解決する」と公言して政権の座に就いたのだ。対話を再開すべきではないか。
そうした中で、国会議員に日朝国交正常化を模索する動きが出てきたことを歓迎したい。日本も米朝合意に連動して動かない限り、朝鮮半島非核化は実現しないからだ。「ブッシュを動かせば日本は動く」。今回も北の当局者は豪語した。せめてブッシュと一緒に主体的に動く日本であって欲しい。
【『電気新聞』2008年6月4日付「時評」ウェーブ欄】