2009年9月24日
歴史は繰り返す/北朝鮮をめぐる核危機の共通点と相違点
今回の“北朝鮮”危機は、1994年の「第1次核危機」、2006年の「第2次核危機」につづく「第3次核危機」と指摘するメディアが多い。
共通しているのは、北朝鮮が核・ミサイル開発を“武器”に瀬戸際外交をくりひろげ、国際社会側が制裁で応じるものの実効性がうすく、結局、話し合いの場に舞台が移るが、相互不信が根強く時間切れ。北にすれば、米朝平和条約締結(米朝国交正常化)、朝鮮半島における冷戦構造終結は実現せず、米側にすれば、北朝鮮の核廃棄(朝鮮半島非核化)も実現しないという結果になっている。
このほかにも、1998年の「テポドン1号」打ち上げ直後の危機、2002−3年のブッシュ政権による「米朝枠組み合意」破棄後の北のNPT(核不拡散条約)脱退にともなう危機があった。
「テポドン1号」危機のあとは、クリントン政権が「ペリープロセス」にもとづいて真剣に交渉、2000年にはオルブライト国務長官が訪朝し、米朝国交正常化一歩手前まで行ったが、こわもてのブッシュ政権登場で頓挫してしまった。そのあとの2006年の第2次危機ではブッシュ大統領自身が北を「テロ支援国家」指定を解除、さらなる関係改善が期待されたが、チェイニー副大統領率いる“ネオコン”勢力の巻き返しでそれ以上進まなかった。まさに「歴史は繰り返す」のだ。
ところが、今回の危機は、オバマ政権側には問題がなく、多分にピョンヤンの内部事情に起因があるのが特徴である。オバマは選挙運動中も「対話で解決する」と一貫して主張していたのだ。
ボスワース特別代表は、就任前の2月、学者・文化人代表団を率いて訪朝、金桂官外務次官(6者協議首席代表)と非公式接触してオバマ政権にのぞむ北の意向を聴取、帰国して正式に「特別代表」に就任、3月に改めて訪朝を申し入れたところ、“拒否”されたという事情がある。
この間、北は軍部主導で、「人工衛星」打ち上げ、2回目の核実験実施を決めていたのだ。この経緯は推測の域を出ないが、金正日総書記の健康悪化、後継者(三男・金正雲)擁立の動きがからんでいるのは間違いない。体制の動揺に不安をおぼえた軍部が自らの権力基盤を強化し、オバマ政権との交渉に強い立場で臨むために強硬策を打ち出す選択をしたものと見られる。
その意味で、最近の柔軟路線は金正日の健康と自信の回復を意味する。同時に、今回は安保理決議の制裁がかなり利き、経済的に苦境を脱出できないことも背景にあると推測される。9月16日に終了した「150日戦闘」をさらに年末まで延長して「100日戦闘」として継続することになったのも、実態は生産目標を達成できないためと見られる。