2008年2月22日
「東アジア共同体」は九州から
俗に京美人、秋田美人というが、『週刊朝日』が昨年11月に実施した調査によると、日本でいちばん美人が多いのは福岡県という結果が出た。女流作家と同行記者が印象に基づいて集計する方法だったが、結果はダントツで、「博多美人」は本物のようだ。太古の渡来人との混血のなせる業か。
国連在勤当時、「メシがうまくてオンナが綺麗な国からは海外に人材は出てこない。だから国連で働く日本人職員が少ないのだ」というのが同僚の明石康氏の持論だった。福岡から人材が外に出ないかどうかはともかく、福岡が「メシがうまくてオンナが綺麗」なことだけは客観的事実のようだ。
その福岡には、韓国、中国、台湾、タイなど近隣の東アジア諸国からの観光客、ビジネスマンが大挙して押しかけている。福岡は九州の表玄関、地域レベルの国際化が九州全土に広がっている。早春の福岡と鹿児島を訪れて、改めてその感を強くした。
「東アジア共同体」の範囲や構成国をめぐる論議が喧しいが、共同体は東京、北京、ソウルの政治指導者の意思と思惑で形成されるものではない。日本国内の議論はとかく理念先行で頭デッカチだ。今さら「アジアは一つ」と唱えた岡倉天心の思想を持ち出すというのも時代錯誤だ。天心は西から東への芸術文化の流れの一体性を「一つ」という言葉で表現したにすぎない。
福岡からは、もっとアジアそのものに思い入れが強く、大アジア主義を唱えた頭山満が輩出している。彼の組織「玄洋社」からは杉山茂丸、内田良平らの行動派が朝鮮半島や中国大陸を闊歩している。戦前の福岡はまさに日本と東アジア諸国を結ぶ活動の拠点だったのだ。
EU(欧州連合)の今日あるは、国境を越えた民衆レベルの交流と融合が存在していたからだ。17世紀の国民国家(nation-state)成立以前は住民が自由に往来していたし、根底には共通の宗教・倫理・価値観があった。東アジア地域にはこれがきわめて希薄なのだ。とくに島国日本は孤立し、孤高を保ってきた。
ところが九州は今その様相を一変しつつある。未完成ながら博多・鹿児島間を縦断する九州新幹線に乗った。愛煙家として全車禁煙は気に食わぬが、漆黒のシートの車内は静かで快適、車内アナウンスはすべて日英韓中の4カ国語で繰り返され、チラシも案内板も4カ国で記されている。昨今の円安が中韓両国からの旅行者を急増しているという。台湾、香港からは以前から多い。
日本を訪れた韓国人旅行者は昨年250万を超えたが、このうち3分の1が九州を訪れ、訪問地としては東京、大阪に次いで福岡が3位に食い込んでいる。別府、阿蘇山、熊本市も観光スポットとして人気があり、別府温泉は韓国人入浴客で溢れ、阿蘇山のゴルフコースには韓国人プレーヤーで賑わっているようだ。“韓流ブーム”去って、今は“日流ブーム”だという。
福岡と釜山を2時間50分で結ぶ高速フェリーが毎日4便、ほかに一夜かけてゆっくり運航する格安の大型旅客船も往復している。空路も毎日1便あるほか、福岡・ソウル便が一日5便、ほかにソウルには大分、長崎、熊本、鹿児島、宮崎の各空港からもほぼ毎日飛んでいる。福岡・上海間も毎日4便、福岡・台北間も毎日3便だ。福岡とほぼ同じ人口規模の札幌と比較すると、札幌・ソウルは一日1便、札幌・上海は週3便、札幌・台北は同2便だから、九州と東アジアの周辺諸国との近さがわかる。
まず観光・商用で人の往来が頻繁になり、地域レベルの人的融合が起きて、はじめて「共同体」の基礎ができあがる。東アジアの大波が九州から本州各地に広がるのも遠い将来ではなかろう。
【『電気新聞』2008年2月18日付「時評ウェーブ」欄】