2007年1月15日
死刑廃止は世界の潮流/フセイン死刑執行の意味
フセイン処刑はシーア派の報復
イラクのサダム・フセイン元大統領に対する死刑執行が、法的正当性を欠く、即決裁判の色彩の濃い復讐劇で、シーア派とスンニ派の抗争をさらに激化させる結果になったことは疑いない。
イラクでは少数派のスンニ派出身のフセインが、27年の統治の間にシーア派とクルド人を徹底的に弾圧し、恐怖政治を敷いた。隣国クウェート侵攻して湾岸戦争を惹き起こし、敗北したものの政権は生き延びた。しかし大量破壊兵器に手を出したことが命取りになり、米国の介入を招いて政権は倒され、逃亡、潜伏しているところを逮捕された。
大量破壊兵器はすべて廃棄ずみ、テロ組織「アルカーイダ」との接点もなかったが、ブッシュ政権に侵攻の口実を与えたことは事実だ。ブッシュ大統領としては、湾岸戦争でフセイン失脚に追い込めなかった父親の仇を討ちたかったのだが、かえって泥沼にはまり、3000人以上の米兵の死者を出しているのだから皮肉この上ない。
問題は、逮捕後のフセインの処遇にある。米軍とシーア派が共謀してフセイン死刑の早期実現を演出した。
裁判はバグダッドの特別法廷で進められたが、弁護士は次々に交代させられ、しかも口封じのために暗殺された。罪状は「人道に対する罪」だが、20年以上前のシーア派イスラム教徒148人の殺害だけが対象になり、死刑判決が下された。シーア派のマリキ・イラク首相は控訴棄却を命じ、判決確定後4日で死刑が執行された。
執行立会人は「地獄に堕ちろ」と罵声を浴びせ、フセインがコーランを唱え終わるのも待たず絞首刑にした。この光景は携帯電話のカメラで撮影され、映像はインターネットで全世界に流された。
そもそもフセイン逮捕のあと、彼をハーグのICC(国際刑事裁判所)に送らず、イラク国内法で裁くことにしたのは、国際法廷では終身刑が限度で、死刑がないからだった。
独裁者を裁くには国際刑事裁判所がある
人道に対する罪、戦争犯罪、民族虐殺、大規模人権侵害に責任のある個人を裁くための国際法廷の設立が決まったのは1998年。国連総会決議にもとづいて各国代表がローマに集まり、協議した。そこでまとまった「ローマ規程」が発効して、2002年ハーグにICCが発足した。国家間の紛争解決を仲介するICJ(国際司法裁判所)とは根本的に異なる。
規程の起草にあたっては、日本の小和田恒大使(現在ICJ判事)が大いに活躍した。国連と国際貢献重視の日本の国是にも合う。ところが、その日本が規約に未署名、裁判所には未加盟なのは矛盾している。
旧ユーゴの独裁者ミロシェヴィッチはベオグラードで逮捕、ハーグに移送され、ICCの公判の途中で昨年3月獄死したが、一国の独裁者を国際社会全体が共通の基準で裁こうというのは人類の歴史で画期的なことだ。
人道に対する罪や戦争犯罪を裁く国際法廷は、第2次大戦後の東京裁判(極東軍事裁判)やニュールンベルグ裁判に端を発するが、これらはいずれも勝者が敗者を断罪したもので、公平性に問題を残した。
その後、国連安保理決議で旧ユーゴ国際法廷、ルワンダ国際法廷などがその都度、臨時に設置されたが、常設機関を設けようという動きが高まり、ICCが発足したわけだ。
ただし、いかに残虐な罪を犯そうとも、ICCには死刑はない。国連総会は1989年、死刑廃止条約(正確には「国際人権規約第二選択議定書」)を採択し、死刑廃止が世界の潮流になっているからだ。死刑廃止がEU(欧州連合)加盟の条件にもなっている。
米軍がフセインをICCに引き渡さなかったのは最初から彼を死刑にするつもりだったからだ。米国はローマ規程には署名したが、批准せず、ICCに加盟していない。理由は米軍兵士が訴追されるおそれがあるからだが、フセイン裁判の場合、米軍兵士訴追の可能性など全くない。
先進国で死刑賛成がいちばん多い日本
国連総会で死刑廃止条約が採択されたとき、反対投票を投じたのは、先進国では日本と米国だけだった。死刑の存廃は州に管轄権があり、州ごとに異なるというのが米国の反対理由だった。
ところが日本の場合は国内世論にある。世論は圧倒的に死刑の存続を支持している。最新の内閣府調査では、実に81%が死刑に賛成しているのだ。死刑廃止に賛成しているのは6%にすぎない。
死刑廃止の動きは世界に広がっている。EUはもとより、南米諸国もほぼ全廃。アジア太平洋地域でも、韓国、フィリピン、ネパール、ブータン、豪州、ニュージーランドが死刑廃止国だ。事実上、死刑執行を停止している国を含めると120カ国以上にのぼる。
死刑廃止の最大の根拠は人権思想だ。いかなる理由にせよ国家が国民の生命を奪う権利はないということ。それと死刑には犯罪抑止の効果はなく、死刑を廃止しても殺人は増えないという諸外国の実例である。要するに犯行の動機として、自分が死刑になるかどうかは無関係ということである。あとは、犯人を憎み、極刑を望む被害者家族の感情を国家が代行すべきか否かという問題になる。冤罪の例もあとを絶たない。それなのに、みなさん、なぜ死刑に賛成なのですか。
【『世界日報』2007年1月15日付「サンデービューポイント」】