2009年2月24日
中川昭一辞任をめぐるメディアの反応と日本人の認識のずれ
ローマで開催されたG7財務相・中央銀行総裁会議直後の中川昭一財務・金融担当相の酩酊記者会見には目を見張ったが、それ以上に醜態だったのは、記者会見の録画を放映した各チャネルのテレビニュースが「チグハグなやり取りがあった」程度のコメントで記者会見の模様を伝え、翌2月16日の新聞各紙もあえて問題にしなかったことだ。
日本で問題になったのは、会見中目をつぶり、発言もしどろもどろの中川氏の映像が世界に流れ、ABC、BBCなど欧米のメディアが辛辣なコメントつきで報道、これがネット配信されて、野党指導者が「世界に恥をさらした」と非難し出してからだ。この段階で、日本のメディアもようやく批判のトーンを強め、結局、辞任に追い込まれたが、往生際も悪かった。
当初は麻生首相の慰留で留任、次いで新年度予算案通過後に辞任、最後に即時辞任と二転三転した。そこには、海外のテレビカメラも入った記者会見で質問に答えられず、それが(風邪薬の飲みすぎというのは虚言で、)実際は飲酒のためだったという“醜態”に対する反省のかけらも感じられない。
今ようやく週刊誌の格好のネタになり、中川氏の日頃の酒癖の悪さ、酒豪ゆえのご乱行ぶりが報じられ、他方、ローマに同行記者を派遣した新聞社は、自社の記者が中川氏が飲酒した食卓には同席していなかったとか、同席していたが記者は飲酒はしなかったとか瑣末的な自己検証をしているが、笑止千万だ。同行記者たちは当初から“しどろもどろ記者会見”の真相を知っていながら、記事では問題にしなかったのだ。取材対象と癒着して批判を控える記者クラブ制度の悪弊である。記者会見が同行記者だけが相手の記者懇だったら、中川氏は平然と帰国し、辞任騒動も起きなかっただろう。
それより筆者が問題にしたいのは、「世界に恥をさらした」がゆえに辞任すべしとする野党の主張、ならびに遅まきながらその主張に同調したメディアの認識のズレである。問題にすべきは「恥をさらした」ことにあるのではなく、世界同時不況という重大事に開催された財政・金融の主要国政府責任者の会合の成果と課題を国際社会に報告し、日本の立場と主張を発信すべき機会を生かせなかったこと、そのための無二の機会を台なしにしたことにある。
日本の政治家もメディアも内向きすぎる。海外ではホテルの部屋でグラスを傾けながら、ボソボソと気心の知れた同行記者とやり合う記者懇では事はすまないのだ。世界に向けて日本政府の政策を発信する機会を自ら進んで作る心構えが不可欠なのだ。