2006年6月26日
欧米流の名前表記に異議あり
国連勤務10年、海外生活13年の私が帰国後苦々しく思っていることが二つある。
一つは日本人同士の握手だ。握手は欧米キリスト教社会の習慣にすぎない。ペコペコお辞儀しながら握手する姿ほど卑屈に映ることはない。政治家はやたらに握手を求める。握手さえすればスキンシップとやらで票になると思い込んでいるようだ。
握手にもルールがある。男性の方から女性に手を出すのは非礼だし、目下の者から握手を求めてはならない。日本人同士は握手しない方がいい。お辞儀の方がはるかに奥ゆかしい。
もう一つは自分の氏名を西欧流にひっくり返して、名+姓の順に名刺に刷り込み、何の抵抗も感じないことだ。脱亜入欧の一例だが、グローバル化の進む今日、不思議でならない。グローバル化とは西欧化ではない。
全世界の耳目はいまドイツのサッカー・ワールドカップに注がれているが、数ヵ月前のトリノ冬季五輪で日本は荒川静香の女子フィギュアスケート金メダル1個に終わった。代わってメダルをさらって行ったのが東アジアの新興勢力、中国と韓国だ。張選手、金選手、朴選手らが活躍した。彼らは姓、名の順に名乗り、表記され、紹介されていた。ところが日本選手だけがシズカ・アラカワなのだ。誰も不自然と思わない。
欧米のメディアも、胡錦涛を「フー・ジンタオ」、盧武鉉を「ノ・ムヒョン」、金正日を「キム・ジョンイル」と姓名の順に表記し、その順で読む。ところがわが国の首相は「ジュンイチロー・コイズミ」とひっくり返る。日本人は英語で自己紹介するとき率先して氏名をひっくり返して相手の習慣に合わせて名乗る。名は体を表わし、心を表わす。日本人は欧米社会に迎合して安心する。
欧米社会、とくに米国では、親しくなるとすぐファーストネームで呼び合う。だから日米の指導者が親密になると、ロン=ヤス関係とか、ジョージ=ジュンイチローの間柄とかメディアが話題にするが、日本国内で首相を「ヤスヒロ」とか「ジュンイチロー」とかファーストネームで呼ぶ者はだれもいない。幼少時に両親が呼び捨てにしたくらいだろう。
親密の情を示すために相手をファーストネームで呼べばいいというものではない。2000年の沖縄サミットで、ホスト役の森喜朗首相はプーチン・ロシア大統領への親近感を強調しようと参加各国首脳の前で、「私とウラジミールは・・・」とぶち上げたところ、プーチン氏は神妙な顔で「私とモリ総理大臣は・・・・」と切り返した。「私とヨシローは」などと言ったら茶番になる。
東南アジアでも、タイでは姓・名の順だ。国王プミポン・アドゥンヤデートはプミポンが、首相タクシン・シナワットはタクシンが姓だ。シンガポールのリー・クワンユー元首相も中国系だから当然。漢字表記は「李光耀」。ミャンマーのアウンサンスーチーさんは全部が名前で、姓はない。日本の新聞などが「スーチー夫人」などと略称しているのは甚だ失礼なのだ。正確に表記しているのは毎日新聞だけだ。インドネシアも同様。元大統領のスカルノもスハルトも名前しかない。国連では姓名の表記法を事前に調べ上げて非礼のないよう配慮する。名前の表記はその国の文化そのものだからだ。
私はNHK記者、国連職員だった過去30年間も、大学教師のいまも、名刺も英語の論文も欧文表記は「YOSHIDA Yasuhiko」で通している。ところが、そうするとMr.Yasuhiko と呼ばれるから、いちいち説明せねばならず不便この上ない。
日本でも最近、女性は友人同士ファーストネームで呼び合うことが多く、レナとかマヤとか欧米流の名前が流行している。男子でもジュンとかケイとか短い名前はファーストネームで呼びやすい。しかし私はやはり苗字と名前をひっくり返して欧米流に迎合するのには反対だ。
【『電気新聞』2006年6月26日付「時評」ウェーブ欄】