2008年12月26日
国連改革と日本(『東大新報』掲載の対談から)
日本語では「国連」と呼んでいるが、英語の The United Nations は第2次大戦中、日独などの「枢軸国」を敗退させた「連合国」つまり米英中心の軍事同盟の名称。それがそのまま戦後の世界平和維持のための国際機構に化けた。その証拠に、国連憲章には現在なおも「旧敵国条項」が残っており、国連加盟国は大戦中の敵国に対しては、安保理の承認なくして武力行使をしてもよいと明記されている。<この条項は今日では有名無実化しているが、最重要機関である安全保障理事会(安保理)の常任理事国が大戦の戦勝国(旧連合国)で占められ、拒否権をもち、強大な権限が与えられている事実は今日も変わらない。>
日本は1956年、悲願かなって加盟が認められ、このときは新聞が号外を出し、NHKが臨時ニュースで伝え、記念切手が出たり、「国連加盟記念恩赦」で囚人が釈放されたりした。それ以来、日本は「アジアの一員」「親米反響陣営の一員」とならんで「国連中心主義」を外交の3本柱にして、国連を崇め、奉まつり、あたかも信仰の対象のように扱ってきた。だから日本人は国連を美化・理想化しすぎるか、現実の無能力ぶりに幻滅して、一気に無視するか極端な反応をしがちである。その意味で日本人は実像をもっとよく知る必要がある。
現在、日本は米国に次ぐ大口分担金拠出国で、2008年は16.624%(3億ドル相当)を負担し、米国に次いで第2位。この分担金比率は、トップの米国(22%)を除く他の常任理事国4カ国(英仏中ロ)の分担金総額にほぼ匹敵する額である。また1993年以来、自衛隊がPKO(平和維持活動)に参加、現在も中東のゴラン高原に駐留しており、国際平和協力にも着実に実績をあげているが、安保理改革は進まず、日本は常任理事国になれない。常任理事国入りは日本政府(外務省)の40年来の悲願・宿願となっている。
米ソ冷戦期(1945−1989年)には、安保理は両国の対立で本来の機能を果たせず、開店休業の状態だったが、1990年代に入って復活し、地域紛争の予防、拡大阻止、平和維持にそれなりに効果を発揮している。1945年に51カ国でスタートした国連は、現在192カ国が加盟し、過去63年間に4倍近くになったが、安保理構成国は15カ国(常任5カ国、非常任10カ国)で、創立以来、2年ごとに交替する非常任理事国が6カ国から10カ国に増えただけである。
安保理改革の機運は冷戦終結後の1990年代に高まり、国連創設50周年の1995年には、事務総長の諮問を受けたグローバル・ガバナンス委員会が新規の常任理事国5カ国(アジア2、西欧1、中南米1、アフリカ1)を加えて10カ国にするよう答申、それ以来総会で審議されているが、日本、インド、ドイツ、ブラジルを加えるとして、アフリカからはどの国が入るのかについてアフリカ諸国間のコンセンサスが出来上がっていない。
また日本に対しては中国と韓国、インドにはパキスタン、ドイツにはイタリア、ブラジルにはアルゼンチンとメキシコという風に、近隣のライバル国が身を挺して常任理入り阻止に動いており、その結果、なかなか合意に至らない。次の目標は国連創設65周年の2010年だが、現在の行き詰まりが打開できる見通しはない。それにしても日本は中韓両国と常に良好な関係を維持している必要がある。とくに安保理で拒否権を有する中国が反対したら、日本の常任理入りは永遠に実現しないのだから。
常任理入りのメリットは、まず(1)国際平和のために目に見えた貢献ができること、(2)分担金(おカネ)をだすだけでなく、知恵を出し、アイディアを出して国際世論をリードし、存在感を発揮できること、(3)各国の動きがいち早くわかり、情報入手にも役立つこと、そうした実績を通して、(4)米国追随の外交から脱却できることだ。常任理事国になったからといって憲法9条を改正して自衛隊を戦場に派遣し、血を流す必要はない。憲章上そんな義務は存在しない。
もちろん国連は国際平和の維持以外にも、人権、開発(貧困撲滅)、環境などの分野で重要な役割を果たしている。国連には17の専門機関、13の付属機関があり、その他中小の機関を加えると40機関以上が存在、全体を称して「国連システム」という。前者には、国連本体よりも歴史の古いITU(国際電気通信連合)、UPU(万国郵便連合)などがあり、19世紀から存在している。世界遺産保護で有名なユネスコ(国連教育科学文化機関)やエイズ撲滅で地味に活動しているWHO(世界保健機関)なども専門機関だ。後者としては、ユニセフ(国連児童基金)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などがあり、これらはいずれも国連発足後、総会決議で創設されたものだ。現在これら国連システム全体で約6万人の職員が働いているが、日本人職員は676人(2007年末現在)で、全体の1%そこそこという少なさだ。
なぜ日本人国連職員が少ないかといえば、(1)語学力の問題、(2)中高年になってからは子ども教育の問題、(3)理想を高くもちすぎて官僚主義に失望、環境不適応を起こすことなどが従来指摘されているが、日本国内で十分、個性・能力・専門知識を生かせる職業が見つかるので、わざわざ海外に出ていく必要がないことが背景にある。このことは、とくに東大生諸君にあてはまる。もうひとつ、意外に知られていないのは、日本国内の方が人件費が高く、国連機関に勤務すると減収になることだ。
私の場合も、1981年、外務省の推挙で、NHK記者からニューヨークの国連本部の課長ポストに就いたが、当時は1ドル=270円で、NHK時代の給料の3倍になり、NHKの同僚に羨ましがられたが、10年後に退職したときは、1ドル=90円(今と同じ)で、その間部長に昇進したにもかかわらず、円換算の年収はNHK同期生の半分に減っていた。明石康さんも1957年、米国留学中に国連職員に採用された時の初任給は日本の総理大臣とほぼ同額だったそうだが、事務次長として退職した1996年には大企業のせいぜい部長級だった。
しかし、若いうちは給与格差はあまりないので、あらゆるチャンスをとらえてチャレンジすることを勧めたい。東大生諸君は内弁慶で国内ではエリート風を吹かせられるが、一歩海外へ出ると、とくに気候風土がきびしく、政情も不安定な途上国では、自分がいかにひ弱な存在かがわかる。本部事務局も駆け引きとだまし合いに明け暮れる伏魔殿のようなところで、自分をみずから修羅場に置いて苦労してみることだ。将来かならず役に立つこと請け合いだ。サブプライムローン破たんに端を発した世界不況はあと数年続くだろうが、世界に国家が存在し、紛争・飢餓・環境破壊がつづく限り、国連が消滅することはない。外務省は日本人職員を増やすために、AE(アソシエート・エキスパート)、JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)などの制度を設け、政府の費用負担で職員を派遣し、諸君のためにチャンスを広げている。もとめられるのは、まず専門性、次にコミュニケーション能力だということを忘れないでほしい。
【『東大新報』2009年1月15日付対談要旨】