2006年2月27日
政治家よ、国連事務総長を目指せ
国連事務総長に日本人を擁立するよう提案した小論を朝日新聞「私の視点」欄に投稿したところ、しばらく塩漬けになっていたが、毎日新聞が2月16日付の社説で、「日本人も手を挙げてみたら」と主張したら、私の投稿もたちまち活字になり、24日付の朝日に掲載された。そのフォローアップだが、国連事務総長に日本人が就任してもおかしくないのだ。
日本人は国連の権威に弱く、無条件にありがたがる。内に天皇、外に国連というわけだ。戦後いち早く日本政府が取り組んだのが国連加盟だったし、加盟が実現した1956年12月には全国民が狂喜した。メディアは臨時ニュースを流し、号外を出し、政府は記念切手を発行し、国連加盟記念恩赦と称して7万人の囚人を釈放した。
加盟後は、反共陣営の一員、アジアの一員と並んで国連中心主義を唱え、日本外交の3本柱として国連を重視した。最近も、ブッシュ米政権は安保理決議を経ず、国連の頭越しに「有志連合」を結成してイラクに侵攻し、フセイン政権を打倒したが、ブッシュ大統領との盟友関係で参加を求められていた小泉首相は外務省を叱咤して何としても国連のお墨つきを得られるよう指示、その結果、10年以上も前の湾岸戦争当時の古い安保理決議を引っ張り出してきてフセイン政権の違反と非協力を見つけ出し、自衛隊のイラク派遣の正当性の根拠にした。
国連事務総長というと、国連の最高権力者で、国連の決定に影響力を行使しているように思い込みがちだが、実力は安保理常任理事国の国連大使には及ばない。「総長」という訳語が不適当、中国語では「秘書長」という。それが直訳として正しい。
ブトロス=ガリ前事務総長が米国の横暴を押さえ込もうとして果たさず、オルブライト国連大使(当時)の不興を買って失脚したことは記憶に新しい。最近もボルトン米大使の横槍で、コフィー・アナン事務総長の訪日予定がキャンセルされた。ただし、全世界に展開する国連本体と付属機関の職員2万人を率いる事務方のトップであることに変わりなく、膨大な情報が集まってくる。途上国を中心に国際世論に対する精神的影響力は侮りがたい。
国民が国連を重視し、盛り立てていこうということであれば事務総長に人材を送り込むのが一番だ。やはり国連重視の北欧のノルウェー、スウェーデンからは初代、2代目の事務総長を出している。米ソ冷戦中は中立国からという暗黙の了解があったが、冷戦終結後はその縛りはなくなった。しかも地域の輪番制でいうと次はアジアの番なのだ。アジアからは、韓国の潘基文外交通商相はじめ、タイ、スリランカ、東ティモールなどから候補者が取りざたされているが、本命不在で乱戦模様、調整は秋以降にずれ込み、ダークホースが選出される可能性が高い。
その事務総長のポストに日本人が就いたらどうなるか。日本は対米追随なので、日本人事務総長は米国の言うなりになるから駄目だという議論があるが、そうでもなかろう。良好な日米関係を利用して米国をうまく取り込み、国連の権威を高めれば最大の実績になる。
問題は日本人に候補がいるかどうかだ。国連事務総長は閣僚級の政治家が望ましいとされている。国連で顔の売れた古手外交官あるいは事務局幹部に適任者がいればいいが、明石康氏引退後はその種の候補はいない。閣僚級では、小泉内閣には麻生外相、竹中総務相、小池環境相、猪口少子化担当相ら、英語に堪能な有資格者がいる。アラビア語を自由に操る小池氏など女性候補として有望だ。さらに過去の閣僚経験者、副大臣クラスを含めれば海外留学組がかなりいる。
政治家のみなさんよ、小さな日本で天下取りにうつつを抜かすより、憧れの国連ビルの38階で仕事してみませんか。半年あれば根回しの時間は十分だ。
【『電気新聞』2006年2月27日付「時評ウェーブ」欄】