2005年7月19日
夢と消えた日本の安保理常任理入り
外務省の30年来の悲願だった日本の国連安保理常任理事国入りは、米中の反対で、あっけなく夢まぼろしと消えた。
日本、ドイツ、インド、ブラジルの4カ国、それにアフリカの2カ国を新規の常任理事国とし、非常任理事国も4カ国増やして、現在の15カ国と25カ国に拡大するという「枠組み決議案」は総会に提出されたが、頼みとするアフリカ諸国の支持が一本化できないまま、採択に必要な総会の3分の2、128カ国の賛成確保はきびしい情勢となっている。
たとえ採択されても、憲章の規定により、安保理常任理事国5カ国を含む全加盟国3分の2以上が国内手続きに従って批准しないと改革は実現しない。日本の常任理入りに絶対反対の中国が批准しない意向を表明しているので、それだけでも日本の夢は雲散霧消した。
米国も日本を支持してはいるものの、日本以外の新常任理事国は途上国1カ国どまりという立場で、大幅拡大に反対しており、米議会が批准する見通しはない。安保理が20カ国以上になって途上国が議論をかき回すようでは実効性を失うというのが米国の年来の主張でもある。外務省は、「枠組み決議案」が3分の2以上の多数で採択されれば、米中とも反対は貫けまいと、淡い期待をつないでいるが、現在の米中両国は原理原則を貫くだろう。
あちら立てればこちら立たず、改めて平時に、つまり話し合いを通しての国連改革の難しさを浮き彫りにした。
第1次大戦後、人類史上初めて普遍的平和維持機構として創設されたのが「国際連盟」だった。しかし決定は全会一致、強制力は経済制裁までという「連盟」の欠陥を是正して安保理に強大な権限を認める代わりに常任理事国に拒否権をもたせ、国連軍による武力制裁という強制力を盛り込んで発足したのが第2次大戦後の「国際連合」(国連)である。
常任理事国5カ国は大戦の戦勝国、「国連」は意訳で、正式名称は「連合国」、日独伊3国中心の「枢軸国」を敗退せしめた軍事同盟そのものである。この「連合国」代表が憲章を起草したのは1944年8月から10月にかけてで、欧州戦線では連合国軍がノルマンディー上陸を敢行、太平洋戦争ではサイパン、次いでグアムで日本軍が玉砕、フィリピンもマッカーサー司令官に奪還された時期だ。だから憲章には、枢軸国に対する武力行使はそれ自体正当で、安保理の承認を不要とするという「敵国条項」が残っている。
創設以来60年、そんな国連も加盟国191カ国の普遍的世界機構となり、日本は米国に次ぐ第2の分担金負担国となった。英仏中ロの常任理事国4カ国の分担金総額をも上回る額を単独で負担しながら常任理事国になれないのは矛盾だが、国連は国益角逐の場、八方円くおさまる改革案など存在しない。
日本の誤算は何といっても日中関係の悪化にある。中国は日本が率先してまとめた「枠組み」決議案つぶしのために世界各地の出先大使を督励して、これを支持しないよう圧力をかけた。その点、日本は紳士的でおとなしい。「もう一度戦争して勝って、新しい国連を創る以外にない」とはベテラン外交官のぼやきだが、これで諦めず、粘り強く実績作りに励むことだ。
ひとつだけはっきりしたことは、「自ら地位を求めず、(常任理事国には)求められてなるものだ」などと能天気な言辞を吐いていた政治家が日本に少なからずいたことだ。そんなことには永遠にならないのが国際社会だ。とりあえず日中関係の改善が急務だ。
ちなみに、安保理だけが国連なのではない。アナン事務総長は、使命を達成した信託統治理事会に代わって「人権理事会」の創設を提唱、不仲の間柄のブッシュ政権も支持している。日本人は安保理常任理入りと「敵国条項」にばかりこだわっているが、アナン事務総長は、他にも「国連軍」の廃止、その代わり「武力介入の原則」の確立、「平和構築委員会」の設置などを唱えている。さらにアナン提案には核拡散防止のためにウラン濃縮・再処理工場の新設禁止も含まれている。トータルな国連改革に関心を寄せる必要がある。
【『電気新聞』2005年7月19日付「時評ウェーブ」欄】