2004年11月01日
安保理常任理入りをめぐる国内世論は間違いだらけ
小泉首相が今年9月の国連総会で、日本の安保理常任理事国入りへの意欲を表明し、安保理改革に向けての国内の関心が高まってきた。12月にはアナン事務総長の提案で発足したハイレベル諮問委員会が改革案を答申、それを土台に来年の国連創設60周年を機に改革の動きが本格化する見込みだ。
こうした動きを反映して、国内でも常任理入りをめぐる賛否両論が活発になっているが、どれもこれも間違いだらけだ。
まず小泉首相自身が、最近まで「常任理事国になると武力不行使を貫くのは難しい」という理由から常任理入りに慎重論を唱えていた。「武力不行使を貫くのは」難しくない。現時点で、イラク派遣の米英主導「有志連合」軍は、安保理決議1546で、国連公認の多国籍軍となっているが、仏、ロ、中の常任理事国は一兵も派遣していない。常任理事国5カ国が揃って派遣した多国籍軍などはない。憲章が規定している国連軍は幻の存在で、憲章の規定は空文化している。
パウエル、アーミテージら米国務省首脳は、常任理事国入りと軍事的貢献を絡めて外圧をかけてきているが、憲章上の根拠はなく、振り回される必要はない。クリントン政権時にも2度にわたる上院決議で日本に軍事的義務を迫ったことがある。その米国がイラク戦争では徹底的に国連を無視したではないか。
社民党と共産党も、この「常任理入り」イコール「軍事的義務」の縄縛にとらわれている。
次に、「常任理事国になって何をするのか」について理念を明示すべきであるという議論がある。日本人はよほど国連を崇拝し、平和の殿堂と思い込んでいるのだろう。
ドイツ、インド、ブラジルなどの候補国がいちいち理念を打ち出して、名乗りをあげているわけではない。そもそも米、ロ、英、仏、中の5カ国が常任理事国になったのは、第2次大戦の戦勝国だったからにすぎず、崇高な理念を掲げていたわけではない。
常任理入りした方がよいのは、発言の場を常時確保し、「国際の平和と安全の維持」(憲章上の安保理の役割)に影響力を行使するため以外の何ものでもない。国連は国益追求のための言論戦と合意形成の場なのだ。
外務省は「常任理になると情報が入るから」と説明している。これも本末転倒、何とも情けない消極論だ。
【『ポリシーフォーラム』2004年11月1日号】