2004年1月30日
「国連軍」を考える
民主党の菅直人代表が「国連待機軍」構想を発表した。これは小沢一郎前自由党党首(現・民主党代表代行)の以前からの持論で、自衛隊とは別に、国連に提供する軍隊を常時待機させておこうという構想だが、どの段階まで戦闘行為に参加するのかで中身が変わってくる。
一口に「国連軍」といっても多様な形態が存在し、憲法上の制約がある限り、自衛隊と別組織を待機させておいたところで、そのどれにでも参加できるわけではない。
厳密に「国連軍」という名称の軍隊は存在しない。憲章第43条には、「国際の平和と安全の維持に貢献するため、すべての加盟国は、安全保障理事会の要請にもとづき、かつ特別協定に従って兵力を安保理に利用させることを約束する」という規定があり、経済制裁では不十分な場合、強制措置の一環として、国連としての軍事行動が容認されている。
これが俗にいう「国連軍」だが、過去半世紀以上の歴史で展開されたことは一度もない。憲章では安保理常任理事国の参謀総長からなる「軍事参謀委員会」が安保理に対し戦略的指導をすることになっているものの、米ソ冷戦の結果この規定が形骸化してしまったためだ。冷戦終結後の今日も常任理事国は自国の軍隊の指揮権を他国の司令官に渡す意思はなく、憲章上のこの「国連軍」が実現する可能性はない。
1950年の朝鮮戦争の際に派遣された「朝鮮国連軍」はソ連(当時)の安保理ボイコットに乗じて米国ペースで編成された「多国籍軍」で、米軍司令官が指揮、軍事参謀委員会も開催されず、憲章上の手続きを踏んでいない。
1956年のスエズ動乱の折に、ピアソン・カナダ外相(国連総会議長)とハマーショルド国連事務総長の発案で発足したのがPKO(国連平和維持活動)の一環としての「国連平和維持軍」である。これは停戦監視、兵力引き離し、武装解除だけを担当する“戦わざる軍隊”で、憲章上の規定はなく、紛争の平和解決を規定した憲章第六章と強制行動を容認した第七章の中間に位置するところから、「六章半の活動」といわれている。
1993年、自衛隊がカンボジアに初参加したのは、このPKO で、それ以来6回参加、現在も中東のゴラン高原と東ティモールに駐留している。ただし自衛隊は、憲法上の制約から武器使用がきびしく規制され、正当防衛と緊急避難の場合にしか許されていない。国連事務局が策定した交戦規定では「任務遂行上の武器使用」が容認されており、日本が「国連待機軍」を派遣するにしても、この障壁をクリアするのが先決だ。
「国連待機軍」はすでにカナダ、北欧諸国などに存在しており、目新しいものではない。特にデンマークの提案で「待機軍即応旅団」が1995年に創設され、13カ国が直ちに現地に展開できる即応体制が出来上がっている。さらに国連に登録制度があり、現在80カ国以上が登録している。待機軍を発足させる以上、統一基準を満たした準備と訓練が不可欠で、自衛隊と別組織を創るかどうかという形式論よりも、この制度に自衛隊を登録すれば済む話である。
これをさらに発展させたものが「国連常備軍・常設軍」構想で、世界の各地域に常時、国連が自由に展開できる一定の兵力を待機させ、強制行動ないしは平和維持活動のために出動させようというもので、原型はブトロス=ガリ前事務総長が1992年に発表した『平和のための課題』の中で提唱した「平和執行部隊」にある。この提案は構想倒れに終わったが、即応体制は必要という共通認識でスタートしたのが中間段階としての「待機軍」だ。
「常設軍」にせよ「待機軍」にせよ、原則からして兵力提供国の国権の発動ではなく、国際公務員としての個人参加となり、日本国憲法にも抵触しない。この構想をさらに徹底したものが「国連ボランティア軍」で、フランスの外人部隊の「国連版」と考えればよい。構想はすでに10年前から出ているが、実現の目途はまだ立っていない。しかし国連強化と法の支配の確立のためには、これこそが理想の国連軍である。
【『電気新聞』2004年1月30日時評「ウェーブ」欄】