2008年3月08日
コソヴォ独立の光と影/旧ユーゴの盟主セルビアの落日
東西冷戦下のユーゴスラヴィアには、「7つの国と国境を接し、6つの共和国からなり、5つの民族が住み、4つの言葉を喋り、3つの宗教を信じ、2つの文字を使う。それでも国(連邦)は1つ」という数え唄があった。この多民族国家の指導者が反ナチ・パルチザンの英雄チトーだった。チトー自身はクロアチア人だったが、セルビア人を妻とし、セルビアの首都ベオグラードを「連邦」の首都と定め、ユーゴの一体化に努めた。
チトー死後は何とか集団指導制を維持していたが、冷戦終結とともに「連邦」は四分五裂、「6つの共和国」はそれぞれ独立した。その過程で、分裂阻止に動いたセルビアの「民族浄化」(エスニック・クレンジング)で多くの犠牲者が出た。現在、日本で公開されている映画『サラエボの花』は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを舞台に、戦闘シーンなしに、その悲劇の本質をえぐり出している名作だ。
そうした中で、コソヴォはセルビアにとって最後の砦だったが、90%以上を占めるアルバニア系住民がついに独立を認めさせ、セルビアとの決別を宣言した。私は昨年コソヴォの首都プリシュティナを訪問したが、完全にアルバニア化されていた。コソヴォはセルビア発祥の聖地があるが、いまやセルビア人は極端な少数派になっている。
米国もEU(欧州連合)諸国の大勢もコソヴォ独立を承認した。しかしセルビア支持のロシアが反対のため、国連安保理の承認が得られず、国連加盟は実現しそうもない。それでも独立は独立だ。台湾も似た境遇にある。ただし台湾独立には中国はもとより米国も反対、日本・EUなども不承認の方針なので国際社会に認知されていないが、コソヴォには米国とEUが付いている。コソヴォの通貨はユーロだし、EUは治安維持と経済支援に乗り出している。
コソヴォ独立には、ロシア、EUではスペインが強硬に反対している。独立志向を強めている域内の少数民族が刺激を受けて、コソヴォに追随しかねないからだ。しかし力で押さえ込んでテロが激化するよりも、何が何でも独立したいのであれば独立を認めて平和共存を図るのがいい。ほとんどの少数民族集団(エスニック・グループ)は、経済的には自立できず、多数派(宗主国)に頼らざるを得ない状況にある。
独立したい民族をすべて独立させれば、世界の主権国家は300を超えるだろう。反目と殺戮が繰り返されるより、その方がいいではないか。独立後の混乱と報復を最小限に食い止めるためには国連の介入が不可欠だが、国連が機能しないなら、EU,NATO(北大西洋条約機構)などの地域機構が代行すればよい。その意味で、コソヴォはテストケースだ。