2007年9月27日
ミャンマー流血阻止に積極的に動け
僧侶を中心とした10万人規模のヤンゴン(ミャンマー)の反政府デモでついに死者が出た。流れ弾に当たって、日本人取材記者にも犠牲者が出た。
国連安保理は26日、議長が「懸念表明」を読み上げ、軍事政権に自制を呼びかけたが、デモが収まる気配はない。米英は軍事政権に対する制裁を主張、「際平和と安全に対する脅威ではない」として制裁に反対する中ロとの溝が深まり、安保理は北朝鮮、イランに対する制裁論議と同じ構図を呈している。
日本政府は、在京のミャンマー大使に自制を求めただけで、現在は安保理非常任理事国でもないため、静観している。町村官房長官は、悪名高い軍事政権にテコ入れしている印象をうすめるためか、「日本はミャンマーに対する最大の支援国ではない。軍事政権に対する最大の支援国は中国だ」と記者会見で釈明したが、1954年の国交樹立以来の累計では日本がダントツの最大支援国だ。1989年の軍事政権出現以来の直接投資でも累計2億ドルを超え、最近1年間のODA(無償資金協力と技術協力)は2000万ドルに達している。
日本は北朝鮮に対しては、対話と圧力といいながら、圧力一辺倒の強硬策で臨み、「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」の前提条件を変えていないが、これは本来、日本の外交スタイルではない。ミャンマーの軍事政権に対しても、強圧的な欧米流の制裁はアジアには通用しないとして対話の余地を残し、米国主導の制裁論とは一線を画し、細々とながら援助を供与してきた。ヤンゴン空港の整備や水力発電所改修の援助も「人道支援」の名の下に進めてきた。
民主化闘争の先頭に立つアウンサン・スーチーさんが、1995年と2002年に一時的に軟禁状態から解放されたのは、日本政府の説得が効を奏し、軍事政権が柔軟性を示したものだと説明してきた。しかし今回、軍事政権が僧侶に発砲を命じ、死者を出したのは、1988年ヤンゴンの流血事件で学生・市民1000人以上が軍の発砲で死亡した悪夢の再来を思わせる。
ビルマ(旧称)は大の親日国、日本人も、竹山道雄の『ビルマの竪琴』の影響で「ビルメロ」(ビルマにメロメロの人)が多い。安保理常任理事国の分裂で国連の仲介には限界がある。この際、閣僚級の大物「特使」を現地に派遣して、日ごろの支援をテコに「対話」の成果を生かしてみてはどうか。
【2007年9月27日/日本国際フォーラム「百花斉放」】