2004年8月23日
小学生に英語教育は必要ない(2)
前回は、幼稚園児・小学生の段階から英語を学ばせることは、「百害あって一利なし」とはいわないまでも、あまり意味がない点を指摘した。要するに、英語を学ぶ前に、「何をもって身を立てたいのか」という人生の目的、そのための進路選択が先決で、モディヴェーション(動機づけ)さえあれば、必要に応じて英語は身につく。外国語習得はあくまでも手段だから、目的さえ定まればついてくる。
日本の英語教育は読み書き中心で、話す力が身につかないというのが定説になっているが、話す力もインテンシヴ(集中的)な訓練を受ければ追いつく。毎年、外務省に採用される外交官は半数以上が東京大学法学部出身者で、ほとんどは読解中心の英語教育を受け、受験英語学習に明け暮れた青年たちだ。彼らは2年間、官補として希望する国の大学に留学し、インテンシヴな訓練を受ける。たいていは寄宿舎で、寝ても覚めても、英語(あるいは他の外国語)漬けの生活に浸り、2年後には立派なコミュニケーション能力を身につけて帰国し、任地に赴任していく。
国連難民高等弁務官として10年間東奔西走した緒方貞子さんは、幼少時からの海外帰国子女として英語には不自由しなかったが、もうひとり国連事務次長として活躍した明石康さんは東京大学卒業後、米国に留学するまで英語をしゃべるのは苦手だった。郷里の秋田県の田舎から大学進学のため上京した時は、東京人がしゃべる日本語が外国語のように聞こえたという。明石さんは、その後40年間国連に勤務して「秋田弁で英語をしゃべる」ほどの達人になった。同時通訳で名を馳せた村松増美さんは「関西弁で英語をしゃべる」名人芸の持ち主だ。
私はNHKで23年間、記者生活を送ったあと国連職員に転じた。外国留学の経験はないが、特派員生活をしたあと国連で働きたいという明確なモティヴェーションがあった。OJT(勤務しながらコトバをおぼえる訓練)をみずからに課し、かろうじて英語とフランス語をマスターした。
しかし、私がいちばん熱心に勉強したのは、駿台予備校に通った浪人時代の1年間に猛勉強した受験英語だ。英文法の参考書に登場する例文を片っ端から暗記したのが、のちに役立った。
国連職員時代、英国人の秘書が「ミスター・ヨシダは文法の神さまだ」といって私を尊敬し、「わたしの文章を直してほしい」と草稿をもって相談にくるようになった。怪我の功名で、日本的英語教育が海外の現場で役に立つとは思わなかった。文法が正確な文章を書くと教養人にみられる。
ことわざをたくさん覚えておくのも役に立つ。それがシェークスピアの戯曲の一節だったりすると秘書たちの尊敬の念はいちだんと深まる。英米人(にかぎらず外国人)を惹きつけるのは、その国のことわざを駆使してジョークをとばすことだ。難しい交渉も急転直下まとまること請け合いである。
小学生は覚えるのも早いが、忘れるのも早い。意味がわからないからだ。高校生・予備校生ともなると、意味を理解しながら必死におぼえる。これは終生忘れない。学者の説によると、人間(とくに男性)の性欲と記憶力は19歳がピークで、それ以降は緩やかに下降カーブをたどるという。19歳前後に性欲を適当に発散しながら外国語学習をするのが最も効果的なようだ。
ただし、人間は刺激さえ与えられれば、性欲も記憶力も現状維持どころか上昇カーブを描く。私も60の手習いで韓国・朝鮮語を学んでいる。最近は「冬ソナ」ブームで中高年のおばさま方の間で韓国語ブームのようだが、何でもよろしい、外国語学習は刺激とモティヴェーションさえあれば前進するものなのだ。
【『教育新聞』2004年8月23日付】