2004年8月09日
小学生に英語教育は必要ない(1)
幼稚園と小学校で英語学習が空前のブームだ。お母さんたちが人一倍熱心で、わが子が英語を喋る風景を満足げに眺めているという。現場の教師が「何しろお母さん達が総合学習の時間を全部英会話に振り向けろと圧力をかけてくる」と慨嘆する。
お母さま方にお尋ねしたい。「何のためにお子さんに英語を学ばせるのですか」。英語は世界語。世界はグローバル化し、英語万能。「言葉は幼少の頃から親しんでいないと身につかないというではありませんか。主人もわたしも中学校からの文法中心の読み書き英語で結局ものになりませんでした」とは、わが子二人を英語塾に通わせる近所の奥さまの述懐。
「人間の耳は6歳、脳は12歳で発達が止まる。英語を覚えさせるなら今のうち」と塾の経営者がハッパをかける。おかげで観光ビザで来日する英米人はその日のうちに英語塾や英語学校のアルバイトにあり就けるという。
お母さま方に再びお尋ねしたい。「幼児期に英単語を覚えても、しばらく使わないとすぐ忘れますよ。それに小学校6年間は母語(mother tongue)の日本語をきちんと身につける大事な時期。そのぶん日本語がおろそかになってもいいのですか」。すると「両方同時は無理でしょうか」と、彼女らの自信が途端にぐらついてくる。
「英語は世界語、英語が喋れると得をする」というムードだけで学ぶ英語は長続きしない。筆者はNHK特派員、国連職員として通算13年間、海外生活を経験したが、幼少時を2年間ジュネーブで過ごした長男は帰国後まもなく日本人離れした発音を完全に忘れ去った。逆に小学生から義務教育の9年間をジュネーブ、ウィーンで過ごした次男はフランス語もドイツ語も身についたが、「継続こそ力なり」で、ずっと外国暮らしが続いたからだ。子どもは覚えるのも早いが、忘れるのも早い。
忘れないためには留学するのがいちばんよい。環境がすっぽり“外国漬け”というのが理想だ。日本で暮らしていては、いくら幼少時に始めてもよほど時間をかけて学習しないと忘れてしまう。そのぶん日本語の学習がおろそかになり、漢字も書けず、古典も読めない日本人になる。国際社会では、自国の歴史・文化に無知な人間、つまりアイデンティティー喪失の人間は尊敬されない。
わが家の次男の場合は、日本語の補習に毎週末を費やした。さいわい彼は読書が好きで、筆者は一時帰国のたびに日本語の書物を大量に買い集めて持ち帰り、彼の好奇心を刺激した。小学生時代にナポレオンを尊敬し、オリンピックでフランス選手に声援を送っていた彼の尊敬する人物はその後ナポレオンから坂本竜馬に代わり、「日の丸」「君が代」に感動する青年になった。
幼稚園でのいわば遊戯としての英語遊びはすぐ忘れるし、時間の無駄だと思う。小学生時代の英語学習は、それにともなう犠牲が大きく、これも無意味だ。その間、冒頭から繰り返しているとおり日本語学習が犠牲になり、「人を殺してはいけない」という基本的倫理、「地球に優しい生活」を送るライフスタイルなど、だいじな社会道徳の学習がおろそかになる。
結論を急ごう。カギはモチヴェーション(動機づけ)にある。自分の職業、人生の目的達成に英語のコミュニケーション能力が不可欠ということになれば、誰しも必死に学習する。外国語はそこで初めて身につく。通訳を志すなら別だが、英語が喋れること、読み書きに不自由しないことが人生の目的ではない。目的は他にあるはずだ。志を立てることが先決である。高校生くらいになって初めて志は決まるものだ。
【「教育新聞」2004年8月9日付】