2006年5月25日
深刻化するイラクの宗派対立
2006年5月20日、ヌーリ・マリキ首相が議会に提出した新閣僚名簿が承認され、2005年12月の連邦議会選挙実施いらい半年を経て、ようやく正式政府が発足した。
しかし、閣僚ポストの争奪をめぐって、シーア派、スンニ派、クルド人の宗派対立は克服されるどころか、かえって深刻化した。とくに人口の60%を占めるシーア派に主導権を奪われた少数派(人口の20%)のスンニ派の不満が強く、スンニ派の二大政党のひとつ「国民対話戦線」は政権参加をボイコットした。
マリキ首相は各派に閣僚ポストをばらまき、ポストの数は40に達した。外相のほかに外務担当国務省も新設され、権限があいまいなままだ。宗派対立のあおりを受けて、内相、国防相、安全保障担当相は空席となり、内相は首相が、ほかの2相は副首相が兼任することになった。前途多難である。
日本政府は、2005年12月、サマーワ駐留の自衛隊の「撤退4条件」を設け、円満に撤退する準備を進めてきた。第一条件の「政治プロセスの進展」は整ったが、「治安の回復」は実現しておらず、「イラク治安部隊への権限委譲」はスムーズにいきそうもない。協議機関の設置が不可欠だが、訓練の遅れが目立つ。
サマーワ地区の治安維持を担当している英国軍・豪州軍は6月中の撤退を目指しているが、長引きそうだ。自衛隊のサマーワ派遣は憲法違反であり、イラク全土は事実上、内戦状態にある。一日も早く撤退すべきだ。
復興支援はイラクの治安回復を待って行えばよい。治安回復の責任は第一義的に米国にある。イラクの治安回復のためには、米国は隣国イランの協力を必要としており、イラン制裁どころではないことを悟るだろう。
【HP2006年5月25日】