2009年8月12日
前途多難な天野次期IAEA事務局長の船出≪原子力eye 9月号≫
日本にとって二重の悲願達成
天野之弥大使のIAEA次期事務局長選挙当選は、二重の意味で日本としての悲願達成だった。
第一の意味は、国連安保理常任理事国入りを早期に実現し、国連機関のトップの座を最低ひとつ常時確保するのが外務省の基本方針で、それに沿っていたことだ。日本の分担金比率は、国連本体はじめすべての機関で米国に次いで第2位だが、プレゼンス(存在感)はうすい。安保理常任理事国になり、事務局長を取れば格段に目立つ。
前者はまだ実現していない。国連機関のトップは現在、松浦晃一郎氏がユネスコ(国連教育科学文化機関)事務局長の任にあるが、今年11月に二期目の任期を終えて退任し、あとはゼロになる。天野当選は辛うじて日本がトップの座を引き続き確保する意味をもつ。
もちろん確保してさえいればよいわけではなく、それなりの実績を挙げないとかえってイメージダウンになることもある。その意味でWHO(世界保健機関)の中嶋宏事務局長(1988−98年)は欧米諸国から無能のレッテルを貼られ、不運だった。
現在、潘基文国連事務総長(韓国出身)の評判もかんばしくない。公私混同、優柔不断、リーダーシップ欠如、コミュニケーション能力不足が両者に対する批判として共通している。欧米人の差別と偏見も根底にはある。
天野氏は専門知識と経験は申し分ないが、調整型すぎてリーダーシップに欠けるという指摘は立候補した昨年9月以来つきまとっている。もって他山の石とすべきだ。
第二の意味は、原子力平和利用の推進という日本が得意とする分野の国連機関のトップの座をようやく射止めたことだ。日本がIAEA事務局長のポストを狙ったのは初めてではない。今回、二度目の挑戦でようやく悲願達成したのだ。
ブリクス前事務局長登場の背景
エルバラダイ事務局長の前任者ハンス・ブリクスは16年間(1981−97年)の在任中、数々の修羅場を乗り切り、名事務局長の誉れ高いが、81年の理事会選挙で当初から立候補したわけではなく、今回のように投票で決着がつかず、最後のドタン場でスウェーデンが担ぎ出してきたダークホースだったのだ。
ブリクス出現までは、西欧諸国が推すハンス・ハウンシルト(西ドイツ研究開発省次官)と途上国の支援を受けたドミンゴ・シアゾン(ウィーン駐在フィリピン大使)、それに日本が推す今井隆吉氏(日本原子力発電技術部長=当時)が三つ巴の集票合戦をくり広げていた。決着がつかなかったのは、旧ソ連陣営がいずれの候補をも支持しなかったからだが、決定的なのは米国の動きだった。
今井氏は東大理学部数学科卒ののち原子力工学を専攻した工学博士。ハーバード大学大学院、フレッチャースクール法律外交大学院にも学び、まさに原子力、英語、国際法を身につけた申し分ない適材だった。シアゾン大使(現・駐日大使)も東京教育大学(現・筑波大学)で理論物理を専攻、ハーバード留学の経歴の持ち主で反米ではなかったが、途上国のIAEA支配を警戒した米国が猛反対して脱落した。
その後は日独対決となったが、今井氏も東海再処理をめぐる日米交渉を担当して辣腕を発揮したことからかえって米国に敬遠され、3分の2を獲得するまでには至らなかった。ことほどさように、IAEAにおける米国の影響力は絶大である。
筆者はブリクス事務局長の下で3年間、広報部長を勤めたが、採用にあたってはワシントンに電話して「日本人を採用するが、よいか」と事前の了解を取りつけるなど、気の使いようは並大抵ではなかった。IAEAこそは米国が提唱して創設し、核拡散阻止のために米国が最も重視している国連機関なのだ。
外務省は前車の轍を踏まないように今回は米国の支持を早くから取りつけていた。今回の天野氏とミンティ候補(南アフリカIAEA担当大使)の対決では、天野支持の先進国対ミンティ支持の途上国という構図が鮮明だった。しかし3月の理事会では天野支持票は当選に必要な3分の2にわずかに届かず、冷却期間をおいて6月に再投票となった。
このときスペイン、ベルギー、スロベニアから立候補者が出るという情報が流れ、外務省関係者はダークホース登場かと緊張したが、いずれも泡沫候補と判明、ほっと胸をなでおろした。米国が必死でさがしたダークホースではなかったのだ。
日本は28年前に苦杯をなめているだけに、原子力平和利用の牙城を制覇したという点で感慨ひとしおなのである。IAEA事務局長は創設以来、米国、スウェーデン(2代連続)、エジプトと続き、アジア出身者は初めてだが、この分類はあまり意味はない。天野氏の支持基盤は欧米先進国で、アジア地域の支援で出馬したわけではないからだ。むしろそれがアダになって得票が途上国に浸透しなかったわけだ。
核軍縮・核廃絶とは無関係
天野氏は「ヒロシマ・ナガサキの悲劇を経験した唯一の被爆国からきた」と自己紹介し、日本国民が核廃絶を悲願としていることを強調したところから、一部にIAEAの努力で核廃絶が実現するのではないかと錯覚したメディアがあり、当選を歓迎する広島・長崎の被爆者の談話をテレビ局が放映したり、新聞が掲載したりしたが、まさに日本人の“美しい誤解”で、IAEAの役割・活動は核廃絶(核軍縮)とは無関係である。
天野氏の自己紹介や日本国民の悲願の強調は、「だから原子力平和利用が重要なのだ」と訴えているのだ。IAEA憲章は、「全世界における平和、保健、繁栄のための原子力の貢献を促進し、増大するよう努力すること」をIAEAの目的とし、「原子力が軍事目的に転用されないよう(査察を含む)保障措置(セーフガード)を適用すること」を主たる任務と規定している。
わずかに憲章第3条B項に、「国連の目的と原則に従い、保障された(セーフガードの対象となっている)世界規模の軍縮を促進する国連の政策、またその政策にもとづいて締結される国際協定に従って事業を行う」という記述があり、そこに”軍縮“という言葉が1回登場するだけだ。要するに、「軍縮が進んだらそれに沿って査察をしっかりやれ」というのだ。事務局長が個人的見解を表明するのは自由だが、IAEA自身が核軍縮を提唱したり、推進したりするわけではない。
接点があるとすれば、核不拡散への貢献であろう。IAEAとエルバラダイ事務局長が2005年にノーベル平和賞を受賞したのも、そのためである。おりしもこの時、天野氏が理事会議長の任にあったため、今回の事務局長選挙の事前運動ができた格好になった。ただし理事会議長といっても輪番制で就任するもので、担当大使としてたまたま日本に順番がまわってきたにすぎない。
深まる先進国と途上国の溝
それにしても、天野氏な獲得票数は35の理事国のうち、何回投票をくり返しても23票以上にはならず、3月いらい6回目の投票で、しかも第6日(7月2日)の3度目の信任投票でようやく当選にこぎつけた。最後に1カ国(投票は無記名なので、どの国か不明だが、推測によるとブラジル)がそれまでの反対(対立候補ミンティ支持)から(日本代表団の必死のアピールで)棄権にまわり、3分の2の当選ラインが24票から23票に下がったためだった。
まさに薄氷の勝利で、4日付の読売新聞は「議長から結果が発表された。議場は拍手もなく、静まり返った」というウィーン特派員電を掲載している。
この事実は、先進国と途上国の間には深刻な対立があり、天野新体制の前途多難を物語っている。すでに対立が深刻化しているものに、核燃料の国際管理を具体化した「エルバラダイ構想」がある。これは、新規原発運転国が自国内での濃縮・再処理を放棄するなら、IAEAが核燃料供給を保証するというもので、「核燃料バンク構想」とも呼ばれている。
核拡散阻止には有効だが、一部の国に濃縮・再処理を認めながら、あらたに原子力発電に乗り出す国にはこれを認めないのは「さらなる差別」として途上国にすこぶる評判が悪い。日本は「非核兵器国」でありながら、濃縮も再処理も認められ、独自の核燃サイクル確立をめざしているが、たとえば隣国の韓国は20基もの原発を稼働させながら一切認められないのは不平等として抗議の声をあげている。
NPT(核不拡散条約)は、米ロ英仏中の5カ国を「核兵器国」として核保有を容認し、それ以外の国を十ぱひとからげに「非核兵器国」として核物質を扱う全施設をIAEAの保障措置下におくことを義務づけており、そこにすでに「差別」が存在している。NPT第4条は、「原子力平和利用は(加盟国の)奪い得ない権利」と規定しているにもかかわらず、平和利用のための濃縮・再処理の自由も奪うのはNPT違反だと途上国は主張する。
核燃料は、国外から調達するのが経済的にもはるかに安上がりで、技術的障害もなく便利なのだが、建前の段階で立ち往生しているのが現状である。核燃料の国際管理は最大の懸案ではあるが、この問題が天野新体制下で急進展するとは思われない。
北朝鮮・イラン問題でもIAEAの役割は補助的
北朝鮮は5月に2回目の核実験を強行、核抑止力の完成を急いでいる。1994年にIAEAから脱退。それでもNPTにととどまる限りIAEAの保障措置の適用を受け、査察も義務づけられているのだが、2003年1月、NPTからも脱退した。あとは北京の「6者協議」の枠組みが残るだけだったが、核実験後の国連安保理の制裁決議案採択に抗議して、「北京の協議には二度と参加しない」と宣言、完全に糸の切れたタコになってしまった。
IAEAは、「6者協議」の合意にもとづいて、寧辺の原子炉、再処理施設、核燃料製造工場などの「無能力化」作業監視のために査察官を常駐させていたが、ことし4月に追放され、現在は手も足も出ない状態だ。
エルバラダイ事務局長は2007年ピョンヤンを訪問、寧辺の関連施設を視察して細部の取り決めを行ったが、拉致問題をかかえる日本は対「北」単独制裁を実施し、日朝関係は最悪の状況にあるだけに、日本人の天野氏訪問をピョンヤン当局が容易に認めるとは思われない。(イランは天野当選を報じ、歓迎の談話を発表したが、北朝鮮のメディアは一言も取り上げていない。)
それに、もし北朝鮮が朝鮮半島非核化をめぐって、今後交渉に応じたとしても、まず米朝協議復活、次いで6者協議再開の順となり、そこで何らかの合意が成立した段階で、核施設の稼働停止などの監視のためにIAEA査察官が呼び戻されることになるまで、IAEAの出番はない。天野氏が抱負を述べるのは自由だが、筆者は悲観的である。
イランについてもIAEAの役割は限られる。国連安保理は過去3回、ウラン濃縮停止要請決議案を採択、常任理事国5カ国(P5)+ドイツ=6カ国がイラン当局との間に断続的に交渉をつづけているが、テヘラン南東部のナタンツにおける未申告のウラン濃縮を止める気配はない。
独自の核開発では最高指導者ハメネイ師が承認、保守派も改革派も推進で一致しているが、6月の大統領選挙で保守強硬派のアフマディネジャド大統領が再選された結果、安保理制裁も何のその、着々とアルミ合金製の遠心分離器を増設している。
イランはNPTからは脱退しておらず、IAEAと「保障措置協定」を結び、定期査察を受け入れているが、ナタンツには査察を受け入れない。さらにテヘラン南西部のアラクにはプルトニウム生産が可能な重水炉も建設中である。ともに秘密のヴェールに包まれている。エルバラダイ事務局長は「イランが核保有に至るとしても「5年ないし8年後」と推定していたが、今後、濃縮のテンポ次第では広島型の核弾頭完成時期が早まるかもしれない。IAEA事務局長の任期は4年なので、天野氏在任中に危機は到来する。その間、イスラエルがイラン空爆に踏み切る可能性もある。
要するに、イランの核開発はイスラエルの秘密核保有(の容認)と密接に結びついており、中東全域の非核化(非「大量破壊兵器」化)が実現しない限り、ハメネイ師以下のイラン指導者に核開発断念を迫るのは難しい。何らかの形で譲歩を勝ち取れるとすれば、オバマ大統領が在任中、30年間途絶えているイランとの国交正常化を実現することだ。その段階でイランが核計画の透明化に応じ、IAEAの査察を認める可能性がある。天野事務局長の出番はその時やってくる。
このほか、IAEAが取り組んでいる課題に「核セキュリティー」(核テロ対策を主とした核物質防護)がある。オバマ大統領は来年3月ワシントンに「核セキュリティー・サミット」を招集した。IAEAはいち早く事務局を改組してこの日に備えてきた。国際的基準づくりと国際協力推進で役割拡大が期待される。
【『原子力eye』2009年9月号】