2006年5月15日
書評:朝日新聞社刊『核を追う』
2004年7月18日から2005年8月6日まで、朝日新聞紙上に連載されたシリーズを単行本にまとめたもの。パキスタンの「核開発の父」A.Q.カーン博士のボパール(インド)の生家にまで記者が足を運び、実態に少しでも迫ろうとする「核の闇市場」の現地ルポから始まり、「軍縮・不拡散体制の立て直し」を提言する最終章まで、全巻400ページを超える。
詳細な取材メモとインタビューを中心に構成されており、読み物としては面白い。しかし、あまり学問的、体系的ではない。北朝鮮の核開発に関しても科学的な分析に欠ける。「北朝鮮にとって、1950−53年の朝鮮戦争の際に核の脅しを受けたことは屈辱的な体験だった。その苦い体験を引き金に、自前で核開発に必要な物質をつくり、関連施設を生産できる態勢づくりを本格化させた」と一言で片づけ、ベナジル・ブット・パキスタン元首相へのインタビュー証言をもとに、「核の闇市場」からの技術と物資取得を関連づけているが、安直で、ご都合主義だ。
北朝鮮の核開発が本格化したのは、1980年代後半であり、朝鮮戦争時の「屈辱」などとは無関係。米ソ冷戦構造崩壊の先駆けとして、ゴルバチョフ書記長がクレムリンの権力を掌握、旧ソ連衛星国の切捨てに転じてからの「体制生き残り戦略」そのものである。その中核は、使用済み燃料再処理によるプルトニウム抽出であり、これは「核の闇市場」とは無関係の自力開発だ。
今日イランの核開発の方がはるかに深刻で、解決困難な難題だが、この記述が実に短く、簡潔すぎる。北朝鮮に関しては、2章にまたがり、65ページも割かれているにもかかわらず、わずか12ページ。しかも末尾で、「事態の展開いかんではイランとイスラエルの間で緊張感が一気に高まりかねない、そんな綱渡りのような道がつづきそうだ」と、イスラエルとの緊張でしか捉えていないが、大間違いだ。イランの核開発は、北朝鮮と同じく対米交渉のカードであることを見逃してはならない。しかも、「原子力の平和利用はNPT上の権利」とする原則論を曲げられることは受け入れ難いとの思いは強く、そして根深いようだ」などとのん気な記述が目に付く。「平和利用の権利」はIAEAの保障措置を全面的に受け入れて、初めて主張できるもので、イランは建前上、受け入れていながら、秘密開発をしていたからこそ問題になっていることを忘れてはならない。
米国の「核の傘」に入り、核抑止力で守られながら核廃絶をとなえる日本の核政策の矛盾を紹介してはいるが、自民党議員の30%以上(毎日新聞調査)が「北朝鮮の脅威」を大義名分にして、核武装を主張あるいは核武装に賛成しているという現実、広島・長崎の被爆者らが過去60年間展開してきた反核・核廃絶運動は全く紹介されておらず、これでは『核を追う』というタイトルが泣く。
巻末に、執筆に参加した27人の記者が50音順に羅列されているが、学歴(どうせ全員有名大学卒だから)を省略したのはいいとして、何年に入社してどことどこの支局に勤務したかをいちいち列挙する必要があろうか。広島・長崎支局、あるいは水戸(東海村)・青森(六ヶ所村)駐在の経験なら、専門知識蓄積の経験として紹介する価値はあろうが、それ以外の全国各地の支局勤務を学歴の代わりに羅列する必要がどこにあるか。核問題の取材に何の関係があるというのか。朝日新聞の常識を疑う。
【『核・原子力問題ニューズ』2006年6月15日号】