2004年3月04日
「核の闇市場」の深い闇
パキスタンの「原爆の父」アブドル・カディル・カーン博士の自供をきっかけに「核の闇市場」が暴露され、ブッシュ米大統領は現存のNPT(核不拡散条約)体制には不備があるとして、新たな拡散対抗構想を提唱した。
カーン博士は金目当ての個人的動機でリビア、イラン、北朝鮮に核開発技術を提供してきたことを告白したが、彼の単独犯行とは信じがたい。2002年10月ケリー米国務次官補が訪朝し、北朝鮮側にウラン濃縮計画を認めさせたとされる証拠は、米国がパキスタン軍部から入手したという遠心分離器の輸出許可証だった。軍部が承認した以上、軍の関与は否定できない。
「核の闇市場」はいま始まったことではなく、1980年代後半、濃縮ウランとプルトニウムの密売ルートが摘発され、ベルギー人貿易商が逮捕される事件があった。その貿易商はスーダンの首都ハルツームのホテル・インターコンティネンタルを舞台に、イラン、イラク、シリア、アルジェリアなどの政府相手に核物質を1キロ100万ドルで売りさばいていた。供給していたのは欧米諸国だった。「需要のある所に供給ありさ」と貿易商はうそぶいた。冷戦崩壊後は旧ソ連から核物質が流失、ウィーンやチューリヒで高濃縮ウランが押収される事件が相次いだ。
核開発の歴史は、いくら力で押さえ込もうとしても、核保有が国際政治上のステータス・シンボルである限り、拡散を阻止できないことを教えている。広島・長崎に投下してその威力を確かめた米国は、事実上の核独占を目指してバルーク案を国連に提案したが、ソ連(当時)の反対で実現せず、ソ連の追随を許し、次いで英、仏、中の三国に拡散した。次の脅威は日独の核武装だった。
危機感を強めた米ソがイデオロギー対立を超えて結託したのがNPT体制だが、NPTが禁じているのは核物質の軍事転用に限られ、対象も自己申告にもとづくため、秘密核開発抑止には役立たなかった。NPT非加盟のインド、パキスタンの核保有を阻止できなっただけでなく、南アフリカ共和国はまんまとウラをかいて秘密核保有に成功した。(イラクには未申告のウラン濃縮施設が存在したが、湾岸戦争直後に破壊され、ウランは没収された。)
その教訓から導入されたのが1997年にIAEAが採択した「追加議定書」で、対象を核物質に限らず、すべての核関連施設を設計段階から対象に含め、無通告の抜き打ち査察を認めさせ、放射能探知のための環境モニタリングを採用している点など完璧を期しているが、加盟国はまだ38カ国にとどまっている。北朝鮮が未加盟なのはいうまでもない。
そこでブッシュ大統領は昨年、疑惑の船舶に対する強制臨検などからなるPSI(拡散安全保障イニシアティヴ)を提唱、日本など16カ国が加わって洋上で演習を繰り返しているが、さらに、このほど非核保有国に対する新規の核燃料生産を禁じる新提案を発表した。現在、自前のウラン濃縮とプルトニウム再処理実施が公認されているのはNSG(原子力供給グループ)加盟40カ国だが、これで打ち止めとし、厳重な国際管理に移そうというもので、これを受けてエルバラダイIAEA事務局長も核物質の一元管理を引き受ける構想を発表している。
しかし、ブッシュ提案は米国主導の核管理体制の強化にほかならず、NPT体制が内包する不平等性をますます広げ、他方でイスラエルの核保有は黙認するというダブルスタンダード(二重基準)は存続することになる。そればかりか、原子力平和利用でも「持てる者」と「持たざる者」の差別を固定化するもので、原子力産業の発展を阻害するばかりでなく、「平和利用を人類の平和と繁栄のために促進する」というIAEAの目的にも反する。やはり究極の解決策は地球規模の核兵器廃絶以外にない。
【『電気新聞』2004年3月4日時評「ウェーブ」欄】