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プロフィール

吉田 康彦

吉田 康彦

1936年東京生まれ
埼玉県立浦和高校卒
東京大学文学部卒
NHK記者となり、ジュネーヴ支局長、国際局報道部次長などを歴任

1982年国連職員に転じ、ニューヨーク、ジュネーヴ、ウィーンに10年間勤務

1986−89年
IAEA (国際原子力機関)広報部長

1993−2001年
埼玉大学教授
(国際関係論担当)
2001-2006年
大阪経済法科大学教授
(平和学・現代アジア論担当)

現在、
同大学アジア太平洋研究センター客員教授

核・エネルギー問題情報センター常任理事
(『NERIC NEWS』 編集長)

NPO法人「放射線教育フォーラム」顧問

「21世紀政策構想フォーラム」共同代表
(『ポリシーフォーラム』編集長)

「北朝鮮人道支援の会」代表

「自主・平和・民主のための国民連合・東京」世話人

日朝国交正常化全国連絡会顧問

学歴・職歴

北朝鮮人道支援の会

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核・原子力
TOP > 核・原子力 > ブッシュ政権2期8年間の核政策の破綻----北朝鮮・イラン・米印原子力協力 

2008年11月08日

ブッシュ政権2期8年間の核政策の破綻----北朝鮮・イラン・米印原子力協力 

誤算と失政の連続

ブッシュ米大統領の2期8年間の核政策は矛盾と挫折の連続だった。まずABC(クリントン前政権の全否定)政策を打ち出して、前政権がひとたび署名したCTBT(包括的核実験禁止条約)を批准せず未加盟、さらに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との対話を遮断、このあと9・11同時多発テロに慌てふためいで「テロとの戦い」を宣言、アルカーイダ殲滅のために核兵器使用の可能性も含めた先制攻撃まで検討するに至る。いわゆる「ブッシュ・ドクトリン」だ。

 

大量破壊兵器隠匿の情報を捏造してイラクに侵攻、フセイン政権を倒してみたものの核・生物化学兵器の欠片も見つからず、中東を「パンドラの箱」にしてしまった。

 

他方、アルカーイダの温床アフガニスタンのタリバン政権も粉砕したものの首謀者オサマ・ビン・ラディンを捕捉できず、その後またタリバンが復活して双方に犠牲者が激増している。同時多発テロがブッシュ政権全体の冷静な判断力を狂わせ、ネオコン主導の単独行動主義(ユニラテラリズム)の道をひた走った結果のツケは大きい。主戦場はイラクからアフガンに移っているが、米・NATO(北大西洋条約機構)軍側に勝算はない。

 

2006年の中間選挙で与党・共和党は大敗、ブッシュ大統領は2期目の途中から国際協調・対話路線に軌道修正したが、時すでに遅く、唯一の引退の花道と期待していた朝鮮半島非核化も道半ばで、まもなく8年の任期を終える。イランの核開発も歯止めが利かずウラン濃縮は着々と進んでいる。

 

ネオコンの論客ジョン・ボルトン(前国連大使)は、在任中、核不拡散を最重点政策として打ち出したが、成果をあげられぬまま辞任に追い込まれた。その後のブッシュ政権はNATOの東方拡大を強引に進めて対ロ関係を悪化させ、このため核軍縮も全く進展しなかった。他方、NPT(核不拡散条約)非加盟国のインドと原子力協力協定を結んで強引に発効に持ち込むなど矛盾をさらけ出している。まさに八方破れだ。

 

最後に追い討ちをかけたのが1929年の大恐慌を上回るとされる金融危機だ。冷戦終結後は米国の一極支配の世界になると予想されていたが、今や「無極」の混沌の世界が目の前に広がっている。かくしてジョージ・ブッシュ・ジュニアが史上最低・最悪の大統領として記憶されることは間違いない。そうしたなかで核の存在はどうなるのだろうか。個別に考察してみよう。

 

朝鮮半島非核化とは何か

「クリントン前政権は金正日に騙され続けた。北朝鮮が核廃棄に応じることはあり得ない」というのが前出のボルトンをはじめネオコンの共通認識。対策はレジームチェンジ(体制変更)、金正日体制打倒だった。

 

しかし中韓両国の反対で、イラク方式の武力制圧が不可能と知ったネオコン勢力は、CIA(中央情報局)を共謀してニセドル札印刷疑惑を持ち出してマカオの「バンコデルタアジア」の北朝鮮関連口座を凍結、金融制裁を試みたものの、ミサイル実験と核実験による北朝鮮の抵抗と「ニセドル疑惑はでっち上げ」とするドイツ、スイスなど欧州メディアの告発で挫折、2007年3月、全面解除に応じた。

 

それから現在までの1年半、ラムズフェルド国防長官、ボルトン大使、その他ロバート・ジョゼフ、ダグラス・フェイスらのネオコン一派を排除したブッシュ政権は、ライス国務長官が陣頭指揮、クリストファー・ヒル国務次官補が中心となって北朝鮮と真摯に交渉、既存の核施設の「無能力化」と全核計画の「申告」提出までこぎつけた。非核化に向けての第一歩だ。

 

朝鮮半島非核化は金日成主席の遺訓だ。遺訓は絶対である。しかし「朝鮮半島」というとき、対象は半島全域であり、単に「北朝鮮の非核化」ではない。そこに米朝の基本的対立がある。一連の交渉のスタートラインになっているのは2005年9月19日の六者協議「共同声明」だが、そこには確かに「われわれの共通の目標は“検証可能な朝鮮半島非核化”である」と謳われている。日米韓の世論は「北朝鮮の核廃棄」だけが問題と思い込みがちだが、そうではない。

 

次に「検証可能」という点で、米国はテロ支援国家指定解除に際して、北の備蓄プルトニウムの現場検認などIAEA(国際原子力機関)が実施している“国際基準”による検証を要求した。

 

米国にすれば単なる紙上の申告では信用できないというのが、北朝鮮にすれば「六者協議のいかなる合意文書にも検証手続きは明記されておらず、互いに信頼するほかない。検証を要求するなら在韓米軍の基地も査察の対象とせよ」となる。在韓米軍については、1992年に盧泰愚大統領(当時)が韓国における核不在宣言をしただけで誰も確認していない。かといってIAEAは軍事基地を査察する権限はない。北のプルトニウムも朝鮮人民軍の管理下にある。査察などできないのだ。結局、申告した施設にのみ検証要員を受け入れることで米朝合意が成立し、ブッシュ政権は見返りとしての「テロ支援国家指定」解除を発効させた。

 

問題は米朝双方に“抵抗勢力”が存在することだ。ネオコン主勢力はブッシュ政権の表舞台から退場したものの、親分格のチェイニー副大統領はホワイトハウスで“健在”だし、他方、北朝鮮軍部は“虎の子”の核の廃棄に反対している。その意味でも金正日総書記の健康状態が気にかかる。もしも金正日というカリスマ的存在が消えて集団指導制になった場合、軍部を押さえ込むことができるかどうか不透明だ。金総書記はもともと軍部重視の「先軍政治」を国策の根幹としていただけに軍部の主導権が強まる可能性がある。

 

米朝対立の根本原因は相互不信にある。テロ支援国家指定解除後も北のプルトニウム備蓄量と(あるとすれば)核弾頭の数などは神秘のヴェールに包まれたまま残ることになる。ブッシュ政権は北のプルトニウム生産が止まったことだけを成果にまもなく退場する。

 

それなら北朝鮮は核廃棄には応じず、今後も北東アジアにおける北の脅威は残るのか。筆者はそうは思わない。米朝・日朝が国交正常化し、周辺諸国が北の政権を認知し、友好関係を築けば、たとえ北が数個の核弾頭とミサイルを保有していても無用の長物となる。これを核兵器の“中性化”という。たとえば米ロ両国は現在なお双方で2万発近い核弾頭を保有しているが、米ロ関係に脅威は存在しない。朝鮮半島非核化に先立って当面は“中性化”して信頼醸成に努めることで緊張緩和は実現できる。

 

北朝鮮に核開発を決意させたのはゴルバチョフ

北朝鮮が核廃棄に応じるか否か、核開発の歴史をたどって金日成・金正日体制の真意をさぐってみよう。北朝鮮は当初から核(兵器)開発を企んでいたというのが日本の“常識”だが、記録をたどる限り事実ではない。確実なことは、金日成首相(当時)が朝鮮戦争(1950−53年)で焦土と化した国土再建と工業発展のためのエネルギー源として原子力を重視したということだ。

 

おりしも米国が従来の核(原子力)技術非公開政策を転換し、1953年の国連総会でアイゼンハワー大統領が「平和のための原子力」構想を発表、原発の未来はバラ色に輝いた。54年にはソ連のオブニンスクで黒鉛減速型軽水炉が稼動、送電を開始した。世界最初の商業用発電炉だ。原子力発電の最先進国はソ連だった。

 

56年に訪ソした金日成はこのオブニンスク原発を見学して感動、北朝鮮の若者をソ連に大量派遣して技術研修をほどこす計画を認めさせた。59年にはソ朝原子力平和利用議定書を締結、61年の朝鮮労働党大会は原発導入を決議、62年にソ連の援助でIRT2000型研究炉に着工、65年に稼動している。この段階まで核兵器開発の動きは全くない。ソ連が衛星国の核保有を容認するはずもない。

 

1974年にはIAEAに加盟、IRT2000を「保障措置」(査察)下において平和利用の証しを立てている。76年金日成は最高学府の金日成総合大学で演説し、「わが国の研究開発は核兵器製造のためではなく原子力で経済発展を期することにある」と力説している。わざとらしいといえばそれまでだが、核開発は技術的にも不可能だった。80年の党大会で金日成は原発推進を改めて国家目標に掲げた。石油・天然ガス資源は皆無ながら北朝鮮はウラン資源に恵まれている。原子力をエネルギー源の柱にしたのは彼の英断である。

 

党大会の決定を受けて、金日成はソ連製の新型大規模軽水炉VVER4基の提供をコスイギン首相に要請、同首相は北朝鮮のNPT加盟を条件に同意。ところが85年に登場したゴルバチョフ政権がペレストロイカ(刷新)を打ち出して衛星国との関係を清算、すべての商取引にハードカレンシー(国際通貨)による支払いを求め、軽水炉提供の約束も反古にしてしまった。NPT加盟にともなう査察受け入れの義務だけが残った。ゴルバチョフの裏切りである。平壌ではゴルバチョフに対する遺恨の念と対ソ不信がいまも強い。

 

北朝鮮としては自力開発に踏み切るしかなかった。それが寧辺に85年に完成した5000キロワット黒鉛減速型(コールダーホール型)実験炉だ。5000キロワットというのはごく小規模な実験炉で、寧辺には他に5万キロワット、さらに北西部の泰川には20万キロワットの同型炉建設計画もあり、独自開発路線を模索してはいたが、ゴルバチョフの裏切りと冷戦終息の動きのなかで体制崩壊の危機を感知、80年代後半のこの時点で、金日成・金正日父子が5000キロワット炉の軍事転用を決意したと推定される。北朝鮮に核開発を決意させたのは他ならぬゴルバチョフだ。

 

米国の偵察衛星が寧辺の実験炉の(おそらく燃料棒交換のための)稼動停止と近くの再処理工場(金日成によれば「放射化学研究所」)完成を確認したのが1988年8月。米当局がメディアに情報提供したのが89年1月である。

 

時を同じくして北朝鮮当局は北京で参事官レベルの接触を試み、外交交渉を求めている。筆者が勤務していたウィーンでも、北朝鮮大使館がIAEAに対し米政府との直接交渉の斡旋を依頼していた。ソ連の後ろ盾を失った平壌は体制生き残りに対米交渉を模索しつつあった。原子炉の軍事転用を試みながら米国の反応をさぐる北朝鮮の姿勢が浮き彫りになる。核はあくまでも米国をゆさぶり、交渉の場におびき出し、譲歩を迫る“外交カード”なのだ。

 

軽水炉取得は金日成・金正日の悲願

現在、世界には31カ国に435基の原子炉が存在している。大半が、大規模発電が可能で、比較的安全で効率がよく、軍事転用されにくい軽水炉だ。日本でも55基が稼動しているが、すべて軽水炉だ。普通の水を冷却用に使うところからその名がある。

 

平壌に、思想・技術・文化3分野の革命を記念した「三大革命博物館」があり、そこの技術館に軽水炉の模型が陳列されている。国内で発電用軽水炉が1基も動いていないのに模型だけは堂々と鎮座している。ゴルバチョフの裏切りで入手できなかった北朝鮮の“見果てぬ夢”だ。

 

1994年5月、一触即発の第一次核危機の際、事情を知るセリグ・ハリソン(元ワシントンポスト極東特派員・カーネギー財団主任研究員)がクリントン政権の意向を受けて訪朝、寧辺の原子炉と再処理施設凍結の見返りに軽水炉を提供するという条件を金日成に提示したところ即座に受諾、軽水炉に対する執着ぶりを見せた。6月カーター元大統領が正式に提示、金日成は快諾して危機は去った。翌7月金日成は急死し、軽水炉取得は彼の遺訓となった。

 

同年10月ジュネーヴで「米朝枠組み合意」が成立、寧辺の核施設は凍結され、IAEA査察官が常駐、軽水炉供与のためのKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が発足、朝鮮半島非核化に向けての歩みがはじまった。

 

2002年ウラン濃縮疑惑をタテにとって合意破棄に持ち込んだのはブッシュ政権だ。「われわれは『枠組み合意』破棄のための口実を探していた。おりからウラン濃縮のための遠心分離器を密輸入した証拠をパキスタンから入手した。これぞ『枠組み合意』を叩きつぶすハンマーになった」とボルトン(前出)は回顧録で述懐している。

 

北はウラン濃縮疑惑を一貫して否定しているが、そもそも「枠組み合意」はウラン濃縮を禁止の対象にはしていない。ブッシュ政権は是が非でもクリントン前政権の“成果”を否定したかったのだ。2002年12月、北も対抗上、IAEA査察官を追放して、凍結に応じていた寧辺で再処理とプルトニウム生産を再開、その後の核実験へとまっしぐらに進む。

 

KEDOは東海岸の琴湖に100万キロワット級の軽水炉を2基建設するためのコンソーシアム(事業体)で、韓国が建設資金の4分の3、日本が4分の1負担することで合意。完成するまで米国が毎年10万トンのつなぎの重油を提供するという、北にとって“おいしい”中味が「米朝枠組み合意」だ。さらに米側は金融・貿易の障壁除去(経済制裁解除)と将来の国交正常化まで謳っており、こんな“おいしい”中味の合意を北が破棄する筈はないのだ。

 

ブッシュ政権のぶちこわし政策でKEDOは解散、計画は頓挫してしまった。ちなみに軽水炉1基の建設費は48億ドルと見積もられ、日本が負担に応じた4分の1相当額12億ドルの3分の1強の5億ドルがすでに支払われている。このままだとドブに棄てた結果になるが、拉致問題にだけ執着する日本国民はとんと関心を示さない。

 

ブッシュ政権はすでに時間切れだが、次期米政権は北への軽水炉問題と取り組まねばならない。6者協議「共同声明」には「適当な時期に軽水炉供与について協議する」と記されている。歴史はくりかえす。米新政権は過去の教訓を生かし、ブッシュ政権が空費した8年間を「他山の石」とすべきだ。

 

イランの核開発は次期オバマ政権で解決可能

日本人の関心は薄いが、イランは北朝鮮より深刻である。北は体制生き残りと軽水炉供与と引き換えに非核化に応じているのに対し、イランは放棄する意思が全くないからだ。

 

国連安保理は2006年いらい過去4回、中部ナタンツおけるウラン濃縮を中止するよう求める決議案を採択、圧力をかけているが、イスラム原理主義を掲げるアフマディネジャド政権は馬耳東風、濃縮のための遠心分離器を着々と増設、08年9月には4000台がフル稼働、年内に6000台稼動予定と豪語している。IAEAの資料によると、すでに480キロの低濃縮ウランが生産されている。

 

イランはNPT加盟国であり、濃縮の目的を「平和利用」としているが、動機に不明確で不純なものがあるのは否めない。南部ブシェールにはロシアの支援で軽水炉が未稼働ながら完成しているが、核燃料はロシアが提供する予定だからだ。イランが安保理決議を無視しているのは、常任理事国のロシアと中国が武力行使にはあくまでも反対し、外交的解決を求めているからだ。

 

ブッシュ政権はNPTが保証している「平和利用」をイランには認めないとして、現在、安保理決議で適用している経済制裁・金融制裁が成果をあげない場合、武力行使も辞さずとして軍事演習を繰り返している。イラクの原子炉とシリアの関連施設空爆の経験をもつイスラエルが単独行動でナタンツを空爆する可能性もある。

 

アフマディネジャド大統領は「イスラエルを地図から抹殺せよ」と呼びかけている反ユダヤ強硬派で、イスラエルも強く反発、それだけに米国の了解の下に単独空爆する可能性を排除できないが、ワシントンのシンクタンク(CSIS)の推計によると、イスラエルが空爆すればイランがミサイルで反撃し、イスラエルは最大限80万、イランは総人口7000万のうち2800万の犠牲者を出すというから穏やかではない。解決策は次の2通りある。

 

(1)イランの核開発は、米国歴代政権がイスラエルの核開発を黙認し、同国だけが中東で推定150発以上の核弾頭を保有していることに起因する。イスラエルが核廃棄に応じ、中東全域が非核化されれば解決する。事実イランはエジプト提案の中東・非「大量破壊兵器地帯」構想に賛成しており、そうなればウラン濃縮を停止する構えを見せている。しかしパレスチナ問題の解決、さらに中東和平の包括的実現なくしてイスラエルが核廃棄に応じる可能性はない。

 

(2)1979年のホメイニ(イスラム原理主義)革命を機に断交状態にある米・イラン関係修復を実現し、とくにブッシュ政権下で「悪の枢軸」と烙印をおした敵視政策を改め国交正常化する。ここでもブッシュ政権が核開発を力で押さえ込もうとしたことがかえってアフマディネジャド政権を挑発し、ウラン濃縮を加速させる結果になったことから、米次期政権に必要なことは直接対話でイランの「平和利用」を認め、中東におけるイスラム原理主義との共存を図ることだ。ネオコン路線は全面的に排除されねばならない。

 

第1案は無理でも第2案はオバマ次期政権の下で実現性がある。イランには「文明間の対話」を唱えるハタミ、ラフサンジャニらの穏健派も存在する。アフマディネジャド大統領が2009年の選挙で再選されず穏健派が政権につけば実現の道が開ける。

 

米印原子力協定をめぐる問題点

最後に米印原子力協力協定に触れておこう。インドがNPT非加盟国であるところから、核不拡散論者の多い民主党支配の米議会でも難航したが、IAEA理事会、NSG(原子力供給グループ=加盟45カ国)、米印両国の議会の承認をへて10月、2年半越しでようやく発効、皮肉にもブッシュ政権8年間の数少ない外交上の“成果”となった。

 

1998年2回目の核実験をへてNPT枠外の核保有国となったインドに、核燃料はじめ原子炉・関連技術供与をNSGの「例外扱い」として認めようというのが協定の骨子だ。とくにNSGは、1974年のインドの最初の核実験を機に同国への輸出自粛を申し合わせた組織だけに紛糾したが、推定1000億ドル以上の原子炉輸出市場の魅力には抗しがたく、フランスとロシアも積極的に支持、最後は日本を含む非核保有国も賛成に転じた。

 

これに対し広島・長崎の被爆体験を有する日本の市民団体は強く反発、新聞各紙も社説で一斉に反対論を掲げた。本誌読者も大方は反対と思われるが、筆者の立場は異なる。

 

第1に、インドはたしかにNPT非加盟国だが、インドの立場からすると当然なのだ。インドは初代首相ジャワハルラル・ネルーいらい核廃絶の熱心な提唱国で、原子力平和利用に徹していたが、1962年中印国境紛争で大敗、中国の脅威を肌で感じていたところへ、1968年米英ソがNPTを締結、米ソ英仏中の5カ国を「核兵器国」として公認するかたわら核軍縮を怠り、核保有をめぐる差別を正当化したNPT体制が成立したので、これに抗議する形で核開発を進めたという事情がある。日本政府は市民団体の圧力でインドにNPT加盟を要求したが、インドからすれば、およそお門違いなのだ。インドはNPTを「核のアパルトヘイト」と糾弾している。

 

第2に、核不拡散体制とNPT体制は同義ではない。NPT非加盟国に対する関連技術・物資の提供はNPT違反ではない。この点、日本の反核団体、新聞各紙の主張はすべて“NPT至上主義”に陥り、カン違いをしている。われわれが主張すべきは、核保有国に「全面完全軍縮について誠実に交渉する」というNPT第6条の履行を迫ることだ。インドが抗議する差別性が解消されればNPTもそこで初めて普遍的な国際条約となりうる。

 

第3に、インドは、対抗上同時に核保有国となったパキスタンと異なり、自らは厳重な核不拡散政策を守り、第三国に技術・物資を供与していない。“パキスタン核開発の父”とされるカーン博士は「核の闇市場」を開拓、北朝鮮、イラン、リビアなどにウラン濃縮技術を提供、核拡散に手を貸した。

 

問題は、米印協定の波及効果にある。パキスタンは早速インドと同等のNSG上の「例外扱い」を要求、これに対し中国は軽水炉提供を約束しているが、危険な兆候である。パキスタンは政情不安で、核管理も信頼性に欠ける。これもブッシュ政権が残しつつある「負の遺産」だ。ブッシュが開いたもう一つの「パンドラの箱」になりそうだ。

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