2006年12月19日
日本核武装論は裏づけの乏しい感情論
北朝鮮の核実験に触発された日本核武装論は、政府の非核三原則堅持の方針再確認で終息したかに見えるが、保守派の論壇では合唱が続いている。北朝鮮、潜在的には中国の脅威に対抗しようというもので、現行の核不拡散条約(NPT)から脱退しさえすれば、すぐに核武装が可能であるかのように論旨を展開している。だが、これほど裏付けの乏しい感情論はない。
日本は非核三原則を改め、NPT脱退を表明すれば核武装できるわけではない。NPTも、それに先立って創設された国際原子力機関(IAEA)の査察制度も、戦後体制下における日本とドイツの核武装阻止のために発足した法規範であり、システムだ。日本の脱退はNPT体制が完全に解消し、核拡散が野放しになることを意味する。核不拡散を最大の目標とする米国がこれを容認するはずがない。
チェイニー副大統領はじめ米政界の要人が日本の核武装を肯定するような発言をしたことは事実だが、これは中国向けに投じた牽制球だったことを考慮する必要がある。つまり北朝鮮の核開発を放置すれば日本の核武装を誘発し、東アジアに「核ドミノ」が起きるのは必至として、「北」の核廃棄実現に向けて中国の影響力行使を期待したのだ。
日本語には軍事利用の「核」と平和利用の「原子力」という二通りの言葉の使い分けがあるが、日本ほどこの違いを厳密に実践している国はない。「国民の総意として原子力平和利用に徹する」という方針の下にNPT体制を、非核保有国として支えてきたのが日本だ。
平和目的以外の核エネルギー利用を禁じた「原子力基本法」を守り通してきた官民の努力には並々ならぬものがあり、こうした努力が評価されて、IAEAは日本を「統合保障措置」の対象国と認定し、「任せておいても軍事転用をしない国」として自らは査察量を減らし、日本の自主査察を信頼する決定を下したばかりだ。
もう一つ、忘れてはならないのは、現在、全国で稼動中の原発は55基だが、日本が核開発に着手した途端に燃料のウラン供給が絶たれ、電力需要の30%以上を満たしている原子力発電が停止に追い込まれることである。無資源国の日本は核燃料サイクルの確立を目指しているが、最低限、天然ウランの輸入が不可欠だ。
しかし、供給先の豪州もカナダも2国間原子力協定で、使途を平和利用に限っている。ウラン濃縮も需要の大半を米国に委託しているが、日米原子力協定で平和目的に限定して請けてもらっている。つまり日本が核武装を決意した瞬間から協定が失効してウラン燃料は入手できなくなるばかりか、全物質の返還を求められることになる。
日英・日仏原子力協定も同様で、プルトニウムの再処理も断られる。青森県六ケ所村で燃料用プルトニウムの国産化に着手しているが、それで核弾頭を製造するのは不可能だ。それどころか再処理の過程で、兵器転用を困難にするためにウラン化合物を混入する日本独自の技術を開発して導入している。「原子力平和利用の文化」を確立している点で、日本は世界でもユニークな国なのだ。
以上でおわかりのとおり、日本は核武装したくても出来ない仕組みになっている。とすれば結論はひとつ。北朝鮮の核危機解決には中韓ロと協力して外交努力を強化し、他方、ブッシュ政権に対しては米朝直接交渉に本腰を入れることを要求することだ。第二、第三の北朝鮮を作らないために、米中両国がまだ批准していない包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効を働きかけることも忘れてはなるまい。これらは、先の中間選挙で勝利した野党民主党の要求でもあるが、残り任期2年のブッシュ大統領としても同盟国日本の助言は無視できない筈である。
1936年生まれ。元IAEA広報部長。近著に『北朝鮮核実験に続くもの』(第三書館)。
【『朝日新聞』「私の視点」2006年12月19日付】