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プロフィール

吉田 康彦

吉田 康彦

1936年東京生まれ
埼玉県立浦和高校卒
東京大学文学部卒
NHK記者となり、ジュネーヴ支局長、国際局報道部次長などを歴任

1982年国連職員に転じ、ニューヨーク、ジュネーヴ、ウィーンに10年間勤務

1986−89年
IAEA (国際原子力機関)広報部長

1993−2001年
埼玉大学教授
(国際関係論担当)
2001-2006年
大阪経済法科大学教授
(平和学・現代アジア論担当)

現在、
同大学アジア太平洋研究センター客員教授

核・エネルギー問題情報センター常任理事
(『NERIC NEWS』 編集長)

NPO法人「放射線教育フォーラム」顧問

「21世紀政策構想フォーラム」共同代表
(『ポリシーフォーラム』編集長)

「北朝鮮人道支援の会」代表

「自主・平和・民主のための国民連合・東京」世話人

日朝国交正常化全国連絡会顧問

学歴・職歴

北朝鮮人道支援の会

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核・原子力
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2007年1月01日

日本は核武装したくても絶対に出来ない!

核武装論の系譜
 北朝鮮の核実験に触発された日本核武装論議はひとまず収束した。「非核三原則は変えないまでも論議はあっていい」としていた中川自民党政調会長が党内の批判を受けて発言自粛に応じたためだが、米国の「核の傘」は信頼できないとして独自の核保有を主張する声が消えたわけではなく、今後も根強く続くだろう。

 日本核武装論は古くて新しい。古くは1980年の社会学者・清水幾太郎の『日本よ国家たれ――核の選択』(文藝春秋)にさかのぼる。清水は戦後民主主義の平和運動の支柱として、内灘、砂川などの反基地闘争の先頭に立った左翼思想家だったが、対米追随からの独立を目指して右旋回し、それまでのタブーを破って核武装論を説いた。

 その後、国際政治学者の中川八洋、元自衛官の兵頭二十八、さらに最近では在米アナリストの伊藤貫らが賑やかに論じているが、共通項は中国の"脅威"にどう立ち向かうかで、北朝鮮など彼らの眼中にはなかった。

 麻生外相は昨年12月の訪米時に「北朝鮮が核保有するなら日本も核武装せざるをえない」と発言して波紋を投げた。これは、北朝鮮に核廃棄を迫る上で影響力行使を期待して、チェイニー副大統領やマケイン共和党上院議員ら米議会指導者が中国向けに投じていた牽制球を真に受けて、日本政府実力者が大真面目で発言しただけにブッシュ政権は驚愕した。

 核武装論者の関心が中国の脅威に向けられていたのは、北朝鮮の核開発露見が1990年前後だったこともあるが、本音は北朝鮮など最初から「なめてかかって」いたのだ。去る7月のミサイル発射実験に続いて10月の核実験強行で対「北」脅威感が急速に高まり、日本核武装論が再燃したのだが、その根底にあるのは拉致問題もからんだ怒りと憎しみと敵意だ。

 事実、北朝鮮の核開発を「差し迫った脅威」と見なさなかった日本の政界・言論界の反応は正しい。北朝鮮は日本と日本国民を核攻撃する意図など全くないのだ。「北」の核開発は対米交渉のカードとして始まったのだが、ブッシュ政権が交渉に応じず、逆に体制転覆の圧力を強めたため、「抑止力」としての核保有にまで追い込まれたというのがコトの成り行きである。

 就任後の国会答弁で、安倍首相は「(核を)造らず、持たず、持ち込ませず」という大叔父の佐藤栄作首相(肩書は当時、以下同じ)が国会で表明した「非核三原則」を日本政府の基本方針として再確認したが、従来、日本政府が再三、核保有の誘惑に駆られてきたことは事実である。

 とくに1964年10月、中国が新疆ウィグル地区で初の核実験に成功して「核クラブ」入りした直後にライシャワー駐日米大使と会見した佐藤首相は「もし相手(中国)が核を持っているなら、自分も持つのは常識である」と語っている。麻生外相と同じ文脈の発言だ。しかし佐藤は、翌年1月の日米首脳会談で、日米安保条約の重要性を強調、ジョンソン米大統領から「核の傘」の保証を得て、その二年後の「非核三原則」表明の決意を固めたとされている。「核の傘」の保証を最初に米政府から引き出したのは佐藤だ。(その辺の経緯は黒崎輝『核兵器と日米関係』に詳しい。)

 日本にとっては、ソ連よりも隣国・中国の核保有が直接の脅威だった。日中国交正常化に伴い、1970年代以降、日中関係は着実に進展するが、同時に脅威論も増幅され、日本核武装論は中国を意識して浮かんでは消え、消えては浮かんできた。

 「自衛のための核兵器保有は憲法違反ではない」というのが1957年の岸信介首相の国会答弁(内閣法制局解釈)で、日本政府公式見解として受け継がれてきたが、福田官房長官と安倍官房副長官は2002年に、この見解を蒸し返した。念頭にあったのは中国脅威論だった。

 しかし、日本は実際に核武装したくても絶対にできない仕組みになっているのを政治家諸侯の多くはご存じないようだ。彼らは、「非核三原則」を破棄し、北朝鮮がしたように、NPT(核不拡散条約)から脱退すれば障壁は除去され、堂々と核保有できると思い込んでいるようだが、コトはそう簡単ではない。

 他方、反対論者も、「非核三原則」という国是のほかに、日本が唯一の被爆国であること、国民の核アレルギーが強いこと、さらに平和利用を謳った「原子力基本法」の存在などを挙げるが、これらも核武装阻止の絶対的な歯止めとはならない。国内法は国会で改正すれば済むし、「非核三原則」は政府の方針にすぎない。体験は風化する。いかなる民主主義国といえども、突発事件の発生や政府の巧みな情報操作で世論が一変することは、2001年の同時多発テロ後の米世論が「テロとの戦い」一色に染まり、ブッシュ人気を急上昇させたことでも明らかだ。

 かくして日本の核武装論議は、威勢のいい国粋主義的ナショナリズムと倫理的規範を説く平和主義とがかみ合わないまま並存しているのが現状である。以下その根拠を示そう。

NPTは日独の核武装阻止のための国際条約
 中国の核実験は、米国の「核の傘」保証を日本に与えただけでなく、冷戦で対峙している米ソ両国にNPT締結の気運を促した。前年の1963年には、米大統領ジョン・F・ケネディが「1975年には、日独を含む15ないし20カ国が核保有国になっているだろう」と予言していた。当時、核保有が可能な国の基準は、漠然と自国内に自動車産業が存在しているかどうかが目安とされた。「核クラブ」5カ国の次は日独伊3国だった。第二次大戦の敗戦国として、この三国が復讐心に燃えているのではないかという旧連合国側の誇大妄想もあった。

 危機感を強めた米ソ両国に英国が加わって、三国がNPT草案を起草、ジュネーヴ軍縮委員会、国連総会で採択されて、署名のため開放されたのが1968年、発効したのが1970年だった。日本は70年に署名、76年に批准・加盟した。

 批准に6年の歳月を要したのは、NPTが米ソ(現ロシア)、英仏中の5カ国を「核兵器国」として認定し、それ以外の「非核兵器国」の核開発・取得を禁じるという差別性・不平等性が日本からフリーハンドを奪い、まさかの時の核武装はもとより原子力平和利用をも阻害するのではないかという懸念を与党議員が抱いていたためだが、米国が「核の傘」提供を再確認、平和利用の核燃料供給も保証し、NPT加盟を機に核武装論も終息した。

 こうしてNPTは1995年に無期限延長された。北朝鮮は2003年にNPT脱退を正式表明(1993年に脱退宣言し、その後保留)、IAEA(国際原子力機関)査察官も追放、その結果、同国の核開発は野放し状態だが、現在なお世界188カ国が加盟し、普遍的国際規範となっている。

 NPT体制の空洞化に対する批判は強い。たしかにイスラエル、インド、パキスタン三国がNPT体制の枠外で事実上の「核保有国」として存在し、他方、北朝鮮が核実験を実施、イランが着々と核開発を進めているのを阻止でないなど問題は多い。NPT発足当初から米国はイスラエルの核保有を黙認しているというダブルスタンダード(二重基準)が、一時はイラク、リビアの核開発を誘発したことも事実だ。

 さらにブッシュ政権はNPT非加盟を貫いているインドと原子力平和利用で協力を申し出ながら、「核の闇市場」(カーン博士の核物質密売ネットワーク)を構築したとしてパキスタンには協力を拒否するなど、新たな二重基準を設けようとする動きもある。

 このようにNPT体制の問題点は多々あるが、もし「核燃料サイクル」を推進する世界最大の「非核保有国」日本が脱退したらどうなるか。東アジアで「核ドミノ」が起きるどころか、国際核不拡散体制そのものが崩壊し、核拡散が世界的規模で広がるだろう。そんな事態を米国が容認する筈がないではないか。核拡散阻止こそ米国が最重要視している世界戦略ではないか。この視点を欠く日本核武装論が多すぎる。

IAEAの査察も日独核武装封じ込めが出発点
 NPTに先立って発足していたのがIAEA(国際原子力機関)で、米国が核技術独占を諦め、アイゼンハウアー大統領の「アトムズ・フォア・ピース」構想にもとづいて、原子力平和利用推進のために1957年に創設された。核保有国(当時は米英ソの3国)が提供する核物質の移動を現地査察によって監視し、軍事転用を阻止しようというシステム(「保障措置」という)がこのとき確立されたが、その狙いも日独の核武装阻止にあった。その後のNPTは、米ソが核の寡占体制を維持しながら、これを国際法規として普遍化しようとしたものだ。

 発足当初のIAEAの業務の大半は日本、(西)ドイツ、カナダの原子力関連施設の査察に費やされ、1980年代には日本だけで全体の30%前後を占めていた。1963年、「東海1号」原子炉に対して適用された「保障措置」が世界最初のIAEA査察だった。極言すれば、IAEAは日本のためにスタートしたのだ。

 現在も、日本全国250カ所の施設がIAEA「保障措置」下にある。1999年には"抜け道"をふさぐための「追加議定書」(抜き打ち査察などが追加された)にも加入、平和利用を確実にするための新案に全面的に協力しているのが日本だ。青森県六ヶ所村の再処理工場には、日本とIAEAの技術陣が総力を挙げて完成したLASKAR(大規模再処理工場保障措置)と称する世界最大の査察システムも機能している。プルトニウムに適量のウラン化合物を混合させて軍事転用しにくくした再処理方式を世界で初めて六ヶ所村で考案し、導入したのも日本の技術陣だ。

 1973年の石油危機以降、代替エネルギー源としての原子力が見直され、原発関連施設が急増した結果、日本は非核保有国では最多施設を抱える国になっており、IAEAも日本でさまざまな実験を試みている。一体これは何のためだったのか。
 二年前には、IAEA理事会は日本を原子力平和利用のモデルケースとして顕彰し、「統合的保障措置」対象国に認定した。「ウラン、プルトニウムの管理を安心して任せられる国」として査察も"手抜き"して日本の自主査察を信頼しようというのだ。これは一体どうなるのか。

核開発すれば原発が止まる
 中国の核実験に対抗して歴代首相が米国の「核の傘」依存を確認し、一部の論者が独自に核武装すべしと論じた頃との最大の違いは、その後の原子力産業の発達と普及である。

 稼動中の原発は現在55基、「核燃料サイクル」完成を目指してプルトニウムを燃料とするFBR(高速増殖炉)建設も放棄していない。しかし日本にはウラン鉱は全く存在せず、ひとかけらのウラン鉱石も産出しない。ウラン鉱はオーストラリア、カナダ、米国、ニジェールなどから輸入している。軽水炉のためのウラン燃料の精錬、濃縮も大半を米国はじめ海外に依存しているのが実情だ。

 これらは二国間原子力協定で供給、サービスが保証されているのだが、「平和目的に限る」という大原則が全協定に明文化されており、たとえ1グラムでも軍事目的に利用したら協定は失効する。提供された核物質の返還を求められ、これに応じなければならないことになっている。

 現時点で、日本の電力需要の30%以上が原発でまかなわれているが、この供給が絶えることになる。「日本中の原発が3年以内にすべて止まる」と関係者は証言する。

 対策はあるだろうか。「核弾頭製造も認めてもらえる」協定締結に米国が同意するだろうか。まして11月の中間選挙で勝利した民主党は、共和党よりもはるかに核不拡散を重視している政党であり、米国の同意を得るなど全く想定外である。

 米国の意向に逆らっても、しゃにむに核武装路線をひた走るとすれば選択肢はただひとつ。日本政府自らカーン博士が築いた「核の闇市場」を利用して物資を調達するか、あるいは原発を全面的に放棄して、化石燃料消費削減を約束した「京都議定書」を守るとすれば、太陽光、風力、バイオマスなど自然エネルギーに頼りながら、国民に耐乏生活を強いても核兵器だけは死守するという政策しかない。金正日総書記に見習おうというのだろうか。

技術的には核保有は可能
 原子力業界の第一線で活躍する現場の技術者たちに取材すると、技術陣が号令一下で全精力を傾注すれば、1年以内に2、3個の核弾頭を製造できると断言する者が多かった。やはり「北朝鮮にできて、われわれにできない筈がない」という先入観が感じられた。ただし原子炉と兵器は原理的に異なり、戦後は日本人が一切関わって来なかった分野なので、そう簡単ではなく、試行錯誤を余儀なくされるであろう。国内に核実験場を確保するのもままならない。

 いずれにせよ、現実性に乏しい仮説にすぎないことを付記しておく。
 ちなみに、反核運動家は再処理済みプルトニウムの備蓄量を単純計算して、「日本は長崎型原爆5000個分を保有」などと誇大宣伝しているが、これは大いなる誤解である。日本が保有しているプルトニウムは純度60%程度の「原子炉級」であり、そのまま核弾頭には絶対になり得ない。しかも日本自身の創意で最初からウラン化合物を混入させて、臨界(核分裂の連鎖反応)を起こしにくくしていることはすでに述べたとおりだ。現在の備蓄量は44トンに達するが、核燃料以外には使い物ならない。しかも大半は再処理を委託した英仏両国に保管されている。

 にもかかわらず、燃料として使いたくても、FBR原型炉「もんじゅ」火災事故とその後の地元住民の拒否反応のために、軽水炉のためのMOX(混合)燃料としても使えない"不良債権"になっているというのが実態である。何とも皮肉この上ない。

非核二原則か外交解決か
 最後に、非核三原則のうち、三番目の「持ち込ませず」は当初から事実上守られていないのだから、この看板を下ろして米国の核弾頭を日本本土に配備し、抑止効果を確実にすべきであるという主張が一部にある。

 しかし日本周辺海域にはSLBM(潜水艦発射ミサイル)搭載の米潜水艦9隻が配備されており、本土配備と何ら変わらない抑止力を確保している以上、あまり意味がない。米国も中国の反発をおそれて望まないであろう。とすれば、現状のまま米国の「核の傘」を信頼するのが現実的選択といえよう。

 以上の記述からおわかりのとおり、再燃した日本核武装論は「北朝鮮憎し」の感情的反発の延長上の"気休め"にすぎず、国際的視野と論理的因果関係の考察を著しく欠いている。北朝鮮の事実上の核保有という新事態に直面した私たちにいま必要なことは、「核には核」で対抗することではなく、日米一体となって制裁強化という「圧力」にのみ頼って「北」を追いつめることでもない。六者協議という多国間交渉の場は有益だが、米朝直接対話と並んで日朝国交正常化交渉再開こそ不可欠と考える。

 圧力に屈することを最大の恥辱と見なす彼らは敵愾心と対抗意識を燃やし、地域の緊張を高めるばかりであろう。ブルース・カミングズやセリグ・ハリソンら、朝鮮民族の精神構造を知る米国の識者が一様に指摘するのは、彼らの体面と自尊心を重んじて、逃げ道、花道を作ってやることである。ミサイル発射と核実験強行で対面を汚されたといわれる中国指導部も、似た者同士だけにその辺はよく心得ているようだ。要するに、双方が得をしたと思う「WIN−WIN交渉術」以外に円満解決の道はないと知るべきだ。

 六者協議参加の日本にあって、他の4カ国にないカードは、日朝国交正常化にともなう大規模経済協力だ。そのロードマップは小泉訪朝時の「日朝平壌宣言」に明記されている。2005年9月の六者協議「共同声明」にも言及されている。

 朝鮮半島非核化のプロセスと同時並行で、一説には100億ドル規模とされる日本の経済協力実施に踏み切ることを六者協議で声明し、日朝国交正常化交渉を再開することを訴えたい。拉致問題解決を前提とせず(「入口」におかず)、核問題と同時に包括的解決に至る(「出口」におく)とうアプローチで双方が合意することが「WIN−WIN交渉術」だ。

 安倍首相は拉致問題で毅然とした態度を貫いてきたことで国民的人気を博し、政権の座に就いたが、北東アジアの平和と民族共生のために、この際、靖国参拝問題で見せたと同様の"君子豹変"を期待したい。

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