2007年9月01日
日本の対「北」政策はこのままでいいのか
北朝鮮全土を襲った大水害にも日本のメディアは驚くほど冷淡だ。拉致被害者が生きて救出を待っていると思うなら、もっと心配してもいいのではないか。政府も市民も支援に立ち上がる気配はない。
北朝鮮が核廃棄に新しい条件をつけたりして米朝関係が停滞気味になると、日本のメディアは途端に活気づいて、「だから金正日は信用できない」と他人事のように毒づく。朝鮮半島非核化が実現しないことが歓迎すべきことなのか。
核・ミサイルの廃棄は、日本の安全保障にとって最大の関心事であるべきではないか。すると「拉致はどうでもいいのか」と被害者家族や国民に詰問されるのを恐れて、政治家もテレビコメンテーターも「拉致は何より重要」と念仏のように唱え、そこで思考停止になる。
安倍首相はすでに延命治療患者で、内閣改造後もあと何カ月もつか定かではないが、北京の6者協議では完全に孤立し、日朝関係打開のメドは立っていない。ピョンヤンの当局者は安倍退陣を既定事実とし、後継首班と仕切り直しの交渉再開を目論んでいる。もとより誰が後釜の首相になっても、「拉致問題は解決ずみ」という主張を日本がそのまま受け入れるとは北も期待していない。
しかし「拉致問題の解決」とは、(1)安否不明者(北が「死亡」と発表している8人)の全員生還 (2)実行犯引渡し (3)全容の解明、だとする安倍首相の方針では話にならない。(安倍氏はその後「解決」を「進展」に言い換えたが、何をもって「進展」とするかは明らかにしていない。)
「話にならない」ことは安倍氏も政府関係者も承知の上、要するに国交正常化したくないのだ。何しろ“安倍拉致内閣”とまで呼ばれ、「金正日に感謝状を贈ろう」という冗談まで出たほど安倍氏は「拉致解決」一本槍の強硬姿勢で国民の人気を博し、首相の座を射止めたのだ。今さら変節したら致命傷になる。
打開策は、「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」という“入口論”を改めて、「核とミサイルと拉致」、それと日本側の「過去の清算」の包括的解決を図るという“出口論”に政策転換する以外にない。要するに『日朝ピョンヤン宣言』の原点に戻るということである。
佐藤勝巳・現代コリア研究所長(「救う会全国協議会」会長)らは金正日体制打倒運動の一環として拉致問題を政治利用しているが、日本がいくら単独で経済制裁を発動したところで体制がビクともしないことは実証ずみである。
中韓両国が必死で支え、米国も外交的解決に舵を切った。「金正日はピグミーの独裁者」と揶揄していたブッシュ大統領は来年早々にも訪朝し、朝鮮半島非核化を宣言して米朝国交正常化に応じる計画だ。
としたら、日本の選択肢は限られる。金大中拉致事件を日韓で“政治決着”したように、拉致問題の“政治決着”を決断するか、「未解決」のまま、ワシントンの外圧で、なしくずしに対「北」大規模支援に応じるかのいずれかしかない。どっちが独立国の道かはいうまでもない。
【『ポリシーフォーラム』2007年9月1日号】