2007年7月01日
【解説】金正日体制はなぜ崩壊も暴発もしないのか
旧聞だが、世界でもっとも権威ある「英国王立国際戦略研究所」が1996年の年次報告で、「未曾有の食糧危機であまたの餓死者を出しながら、金日成死後も反乱もクーデターも起きず、体制がびくともしない北朝鮮という国は不思議な存在だ」と疑問を呈した。これは、その後10年以上、国際社会が北朝鮮に対して抱きつづけている疑問でもある。
私は、1994年の初訪朝いらい、北朝鮮が崩壊も暴発もしない7つの理由を唱えている。すでにさまざまなメディアで発表し、最近も8回目の訪朝を終えての帰国報告会で改めて披露した。私をたえず批判している『産経新聞』までもが引用して肯定的に評価したことがある。以下、箇条書きすると次のようになる。
(1)金日成神格化による個人崇拝
(2)唯一首領体制を体系化した主体思想
(3)朝鮮社会に根を張る儒教倫理
(4)監視と密告の労働党統治システム
(5)「米帝」という民族の敵の存在
(6)南北分断という緊張関係の存在
(7)崩壊阻止のために中韓両国の支援
(1)と(2)は表裏一体だが、(1)は宗教、(2)は哲学だ。「偉大なる指導者」金日成の神格化は徹底しており、今日、地球上で個人崇拝が北朝鮮ほど浸透している国はない。金日成の銅像だけで全土に大小1000体以上あるという。平壌郊外の万景台の金日成の生家と遺体が保存されている錦繍山宮殿参拝は全国民の義務だ。外国人旅行者も参拝を強要される。
個人崇拝を正当化する理論が「主体思想」で、人民大衆を歴史の主人公と位置づけ、その主体性を認めながら首領に対する絶対忠誠を義務づけている点に特徴がある。北朝鮮は「主体思想」にもとづいて、政治における「自主」、国防における「自衛」、経済における「自立」をスローガンとして唱えてきたが、残念ながら経済は破綻し、かけ声倒れに終わった。
(3)は(1)と(2)を補強する社会通念であり、人民の精神構造だ。北朝鮮を「儒教社会主義」の国と呼ぶ研究者が多いが、北朝鮮ほど「忠君愛国」の儒教道徳が純粋な形で残っている国も珍しい。金日成から金正日への"世襲"を抵抗なく受け入れさせたのも儒教倫理だ。
最近、金正日健康不安説が日韓のメディアで再燃したが、金総書記が急死したり、執務不能になったりすれば混乱は避けられない。後継者として、金正男(長男)、腹違いの金正哲(次男)、金正雲(三男)が取りざたされているが、どれも「帯に短し、たすきに長し」のようだ。私は3代目への世襲はないと予測している。体制維持のための支援約束の条件として、胡錦涛・中国主席が権力の世襲に強く反対したという。
以上、(1)(2)(3)は崩壊せず、暴発が発生しにくい内的要因だが、どこの社会にも不満分子は存在する。これを押さえ込んでいるのが、党員に監視と密告を義務づけている労働党一党支配構造だ。国際人権NGOによると、北朝鮮の強制収容所には20万人が収容され、これまでに最低50万人が死亡したと推測されている。情報源の脱北者の証言の信憑性には疑問があるが、「北」が恐怖政治支配の全体主義国家であることは疑いない。
(1)から(4)までが北朝鮮側の事情だが、(5)(6)(7)は外的要因。これらが今後、理由づけとして希薄になり、あるいは消滅すると、体制崩壊に至らないまでも体制転換あるいは変革の可能性が出てくる。
人心統一のために仮想敵をつくることは指導者の常套手段だ。(5)の「米帝」の存在は、全土に溢れる「一心団結」というスローガンとして不可欠だったが、米朝国交正常化とともに消滅する。しかし当面、大国の干渉は油断禁物ということで、人民の警戒心を煽り続けるだろう。
(6)は、金大中・韓国大統領の「太陽政策」でかなり形骸化した。最近も米韓合同軍事演習などを口実に南北対話を拒否したりしているが、韓国の経済支援はノドから手が出るほど欲しいのがホンネで、硬軟両用の対応で時間稼ぎをしているというのが実情である。それでも「北」が韓国に対して誇るものが二つある。
ひとつは核と中距離ミサイル、もうひとつは、日本ではあまり知られていないが、DPRKこそ朝鮮民族を代表する正統政権であるという「正統性」だ。これは韓国の学者も少なからず認めている点だ。韓国の左派政党「民主労働党」はこの立場に代弁している。その意味で、韓国に対するライバル意識がなくなることはないだろう。
最後の(7)は今後も続き、体制安泰の要素だ。現在、北朝鮮と韓国の国力の差は別表のとおり。韓国にとって体制崩壊されては一大事。平和統一実現のためには、「北」が経済力を伸ばし、民生が安定してくれないと困るのだ。中朝国境地帯に「北」に200万の朝鮮族をかかえる中国も北朝鮮の体制崩壊は避けたい。さらに中国のホンネとしては、朝鮮半島に親米的な統一国家が出現するより、南北分断のままの方が歓迎なのだ。
というわけで、金正日総書記が健康なかぎり、7つの理由は存続し続けることになる。
【『ポリシーフォーラム』N0.35/2007年7月1日号】