2007年1月01日
[解説]核拡散を防ぐには―北朝鮮の場合
昨年10月の北朝鮮の核実験は中国でも10大ニュースのトップを占め、国民に与えた衝撃の大きさを物語っています。
核実験は核拡散の最終段階を示し、核保有が現実のものとなったことを意味します。
核拡散には次の5つの動機が存在します。(1)攻撃用兵器(米国)、(2)国家安全保障のための抑止力(ソ連、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル)、(3)国威発揚(フランス、インド、イラン)、(4)国民のナショナリズムを満足(インド、パキスタン、イラン)、(5)対米交渉のための外交カード(北朝鮮、イラン)。
北朝鮮の場合は、(5)から(2)に移行しましたが、朝鮮半島に残る冷戦構造解消のために北朝鮮が米国に対して恒久的平和保障措置を要求したのがはじまりです。朝鮮戦争(1950−53年)はいまも休戦協定を締結したままで、本格的な平和協定は結ばれていません。
休戦協定は米朝両軍(それに中国義勇軍)の間で締結されたもので、韓国は当事者ではありません。米国は北朝鮮をテロ国家と認定、交渉相手(国家として)認める意思はなく、逆に冷戦後は金日成・金正日体制崩壊を待つ政策をとりました。現在も北朝鮮からすれば米国は「敵視政策」をとっています。
それならば、と北が対抗手段として繰り出したのが、寧辺の天然ウラン使用の黒鉛減速炉から使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出すという核開発疑惑を振り回して米国を交渉のテーブルに就けるという外交戦術でした。
クリントン前政権は何回かの試行錯誤の末に真剣に交渉のテーブルに就きましたが、最後は時間切れで退場。代わったブッシュ政権は、イラン、イラク(サダム・フセイン政権)とともに北朝鮮を「悪の枢軸」と決めつけ、「対話すれども交渉せず」の態度で、全核施設の一方的廃棄を要求、問題解決のゲタを中国に預けました。その結果、発足したのが6カ国協議です。
中国の必死の仲介で、2005年9月19日、ようやく米朝双方が受け入れ可能な妥協案を盛り込んだ「共同声明」を発表しましたが、米国は間髪を入れず金融制裁を発動、金正日体制締め付けを強化しました。
これに対する北朝鮮の回答が、2005年2月の「核保有宣言」、ついで06年7月のミサイル発射実験、10月の地下核実験だったわけです。北朝鮮を「核保有国」にした責任はブッシュ政権にあります。
【『北朝鮮人道支援の会ニューズレター』2007年1月1日号】