2005年10月01日
「6カ国協議共同声明」にあと戻りはない
瀋陽は人口800万、遼寧省省都で、日本では旧「奉天」として知られる。長らく清朝の国都だった。現在は中国東北部の要衝で、朝鮮族の住民も多い。9月21−23日、国際高麗学会の特別セッションとして、「東北アジアの平和と開発に関する第4回フォーラム」がその瀋陽で開催され、参加した。
同フォーラムは崔応九・北京大学元総長らの呼びかけで定期的に開催されているもので、今回は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)からも社会科学院の学者3名が出席、日本、米国、中国、韓国から総勢18名が参加した。ロシアの学者が急遽不参加となったが、北京の6カ国協議と同じく、6カ国の学者・地域研究者が一堂に会するはずだった。折りしも6カ国協議で、北朝鮮の核問題解決のために共同声明が発表された直後だっただけに、議論は活況を呈した。
北朝鮮の学者からは内容に踏み込んだ発言はなかったが、共同声明の評価をめぐっては、お国柄を反映して中国と韓国の学者が手放しで歓迎したのに対し、日米の代表は慎重論を唱え、際立った対照を見せた。
日本の伊豆見元・静岡県立大学教授は、「日本は核・ミサイル・拉致の包括的解決を求めており、核問題だけを優先させるわけにはいかない。結局、核問題では米朝中韓4カ国の枠組みで実質討議が進むだろう」と述べた。
ケネス・キノネス元米国務省北朝鮮担当官は、「北京では合意を急いだ結果、米朝の利害対立が露呈、今後、駆け引きが長期化し、米議会の反対勢力が合意つぶしにかかるだろう」と悲観論を述べた。
私は共同声明を歓迎しながらも、「米朝間には根強い相互不信が存在するので、これを克服し、信頼醸成に努力する政治的意思が不可欠だ。IAEA (国際原子力機関)の査察の信頼性はきわめて高い。1994年の米朝枠組み合意の二の舞いを繰り返すことがないように、周辺諸国が共同声明を米朝双方に履行させる圧力をかけつづける必要がある」と主張した。
開発に関しては、北朝鮮が最近、緊急人道支援に代わって、長期的な開発援助を国際社会に要請していることに注目し、参加者はこぞってNGO(非政府組織)の果たす役割を強調したが、私は、「NGOに過大な期待をすべきではない。北朝鮮が必要としているのは大規模なインフラ整備、灌漑工事、エネルギー源の増産であり、これらはNGOの能力を超えている。たとえ小規模でもNGOの食糧・医療支援は役立っており、NGOに対する北朝鮮当局の偏見を除去することが肝要だ」と、具体的な事例を示して、みずからの経験を披瀝し、共感を得た。
NGOに対する北朝鮮当局の警戒心を払拭するのは容易ではない。
現時点でも、平壌に常駐する欧米のNGOに対し、今年(2005年)末まで国外退去するよう要求している。NGOが体制側に不都合な情報を外部世界にリークしているのではないかという不信感があるためだ。事実、ドイツ人医師ノルベルト・フォラツェン氏らは、ドイツのNGOとして入国、献身的活動で当局に取り入ったあと当局の指示を無視して行動、国外追放になってからは金正日体制打倒運動を展開している。
【大阪経済法科大学アジア研究所機関誌『アジア・フォーラム』第30号】