2009年4月19日
スタートした「金正日=張成沢」新体制
北朝鮮の人工衛星「光明星2号」打ち上げは、全快した金正日総書記の現役”続投”宣言であり、義弟・張成沢を補佐役とする新「金=張体制」のスタートの号砲だった。金正日の健康状態は体制維持にやはり深刻な影響をもたらした。
昨年8月の脳卒中発症以来、北朝鮮当局はこの事実をひた隠しにし、写真と映像で金正日の健常ぶりを印象づけようとしてきたが、やはり後遺症として麻痺が残り、やせ衰え、やつれた姿は一目瞭然だった。そこで北の公式メディアは、「それでも人民を思う将軍様のおいたわしいお姿に涙が止まらなかった」という人民の証言を引用し、忠誠心を駆り立てる戦術に出た。
その間、総書記の”再起不能”に備えて党と軍部は、三つ巴となって、金正男(長男)、金正哲(次男)、金正雲(三男)の擁立に走り、内部抗争を繰り広げた模様で、権力闘争が表面化した。これを収拾し、金正日”続投”で指導体制一本化に乗り出し、ライバルたちを抑え込んだ功労者が張成沢・党行政部長だったと見てよい。金正日の国防委員長3選、国防委員会の権限強化、張の国防委員就任は、その総決算である。
金正日の指導力回復、指導部の意思統一、軍部の士気高揚のためにも、人工衛星打ち上げは至上命題だったのだ。人工衛星が軌道に乗らなかったにせよ、運搬手段としてのミサイル(いわゆる「テポドン2号」)が推定3200キロ飛翔したことは紛れもない事実であり、国威発揚とオバマ政権に対する新たな交渉カードとなったことは疑いない。