2005年7月07日
リンゴに親しもう/東アジア共同体は相互理解から
リンゴといっても青森特産の果物ではない。明治維新まで続いた朝鮮通信使の来日に際して、また朝鮮半島を訪問する日本人が現地で交流する際にお互いに学んだ相手の言葉を「隣語」(りんご)と呼んでいたという。朝鮮人にとって日本語は、日本人にとって朝鮮語は、それぞれ「隣語」だったわけだ。
鎖国した江戸幕府が唯一正式に外交関係を結んでいたのが朝鮮だった。朝鮮通信使は、15世紀初め足利義満が李氏朝鮮と正式に交隣関係を開いてから、幕末の1811年まで前後15回に亘ったが、後半は朝鮮から日本を訪れるだけの一方通行となった。一行は数百人に及び、学者や画家も同行して、学術・文化交流に大いに貢献したとされている。
明治維新以降は、日清・日露の両戦争を経て不幸な関係が始まる。1910年、日本は「日韓併合」(「韓」は「大韓帝国」)と称して朝鮮半島を植民地化し、皇民化政策に乗り出す。朝鮮民族の日本人化である。その間、「隣語」としての日本語を一方的に押しつけ、彼らから母語を奪おうとした。歴史を鑑とするならばそんな愚行は許されない。鎖国をしながらも、江戸時代の日本人は最大限の礼をつくして朝鮮通信使を迎えたのだから。
言葉は民族の誇り、文化の基盤である。言葉を奪われた民族は滅びる。日本の朝鮮半島支配が35年で終わったのは不幸中の幸いだった。グローバル化と情報化の進展で、英語がリンガ・フランカ(世界語)として幅を利かせているのは時代の流れだが、地域の平和と相互理解は「隣語」を学ぶことからスタートする。
? 英語、?中国語、?日本語、?ロシア語・・・・これは韓国の大学生に人気のある外国語の順番だ。北朝鮮ではロシア語と日本語が入れ替わるが、ベスト4は同じだ。中国では、?英語、?日本語、?ロシア語、?韓国・朝鮮語の順番となる。共通しているのは、トップの英語は別にして、2位から4位まで、いずれも「隣語」が占めている点である。
ところが日本ではどうか。?英語、?ドイツ語、?フランス語、?スペイン語・・・・相も変わらず欧米志向、西洋崇拝のままで、「隣語」は登場しない。中国語あるいは韓国語が3番目あたりに食い込んでいる大学もあるが、全体としては少数派だ。
4年制大学の約半数で、「隣語」を学ぶ機会が設けられるようになったといわれるが、実際に学んでいるのは、全国平均で大学生100人につき1.5人にすぎないという。まだまだ舶来偏重の風潮が残っている。大半の大学生は、ドイツ語、フランス語を教養として学んでいるにすぎない。教養はなぜ西洋語でなければならないのか。
「冬ソナ」の爆発的人気に触発された「韓流ブーム」の影響で、NHK語学テキストの売れ行きは、英語に次いで韓国語(ハングル講座テキスト)が第2位を占めているという。「ヨン様」に熱をあげる30代、40代のオバさまたちが中心のようだが、三日坊主に終わらないことを祈りたい。
最近は韓国語を導入している高校も少なくない。韓国語で大学受験できるようになったのは前進だ。ちなみに韓国語も朝鮮語も呼び名に違いがあるだけで同じ言葉だ。民族・言語・文化の呼び名としては「朝鮮語」が正しいが、拉致問題などで日本国民の対北朝鮮感情が悪化し、「韓国語」の方が抵抗がないようだ。筆者の大学でも従来の「朝鮮語」を「韓国語」に改称した。教えているのは在日韓国人ではなく在日朝鮮人(「朝鮮籍」の「在日コリアン」)だ。
筆者は英語を幼稚園や小学生のうちから教え込むのには反対で、英語に限らず、いかなる外国語も、中学・高校時代に集中的に覚えさせるのが効率的だ。二つくらい同時並行で学習させても大丈夫だ。英語と、もうひとつは「隣語」がよい。隣国なら留学も簡単で、安上がりだ。
21世紀は、世界がひとつになるグローバル化と経済的結びつきで地域が一体化するリージョナル化が同時並行で進む時代である。日中・日韓関係は、小泉首相の靖国参拝問題などをめぐってこのところギクシャクしているが、いつの日か「東アジア共同体」が実現することは間違いない。そのカギを握っているのは、単に貿易・投資の実績ではなく、住民同士、とくに青少年の相互理解だ。そのためにも「隣語」を学学ぶ意義は、ことのほか大きい。
【『教育新聞』2005年7月7日付「文化」欄】