2004年10月03日
安保理常任理入りは対米追随脱却の好機
平和憲法を変えないまま国連安保理常任理事国入りを目指す小泉首相の決断は、日本外交に従来の対米追随から脱却する可能性を拓くものと考える。
小泉首相は、国連総会演説で、PKO(平和維持活動)など「平和の定着」のための実績を背景に常任理入りの意欲を表明し、ドイツ、インド、ブラジルという他の有力候補国首脳と共同声明を出して足並みを揃えるなど積極的姿勢に転じた。
常任理事国には軍事的貢献を義務づけられるという理由で、海外での武力行使を禁じた憲法9条堅持の立場から慎重姿勢を貫いてきた小泉氏としては君子豹変だが、国連憲章には常任理事国の資格に関する明文規定はない。
小泉氏は「考えは変わらない。時代が変わったのだ」と釈明したが、憲章は常任理事国の軍隊に武力行使の義務を負わせてはいない。唯一該当する規定は、国連軍展開の際、常任理事国の参謀総長(または代理)からなる「軍事参謀委員会」が安保理に助言し、戦略的指導をするという第47条のみで、派兵の義務ではない。しかも委員会は国連発足いらい一度も機能せず、国連軍は幻の存在と化している。このため安保理決議による武力行使は、過去の朝鮮国連軍を含めてすべて任意派兵の多国籍軍に委ねられている。
小泉演説に先立って、パウエル米国務長官らが日本の常任理入り支持の見返りに憲法9条改正を促す発言をしたが、常任理入りが外務省の悲願で、日本国民の国連信奉が強いことを計算した上での政治的外圧である。これは目新しいものではなく、10年前に米上院が2度にわたって採択した決議案の二番煎じだ。
イラク戦争ではブッシュ政権は「有志連合」を結成して安保理の頭越しに侵攻、フセイン政権を打倒したものの、戦後の混乱に手を焼いて改めて安保理の“お墨つき”を求め、全会一致で決議1546採択に持ち込み、多国籍軍として追認させたが、米英以外の常任理事国3カ国(仏、ロ、中)は今日に至るも派兵していない。全常任理事国が揃って派兵した多国籍軍など過去に例がない。国連の集団安全保障としての軍事力展開は「国権の発動」ではなく、憲法9条に抵触しないという見解もあるが、当面、実現の見込みはない。多国籍軍は集団安全保障ではない。
最近の事態の推移は、常任理事国になるか否かにあるのではなく、日米同盟下で集団自衛権を行使できることになれば、米国の要請で自衛隊の海外派兵が本格化することを示唆している。
小泉首相の言に反し、時代は変わってはいない。むしろ国連は背後に退き、米国の単独行動が目立つ。むしろ平和憲法を堅持する日本が他の地域大国とともに常任理事国入りすることで新時代が始まる可能性が拓けるのだ。
冷戦終結後の米ソ対立解消で、安保理が平和維持機能を回復、決議を濫発してPKO を各地に展開、「国連新時代」の到来ともてはやされたが、国連改革は全く進まぬままに推移した。拒否権という特権を保持したい現存の常任理事国の改革賛成は単に社交辞令で無関心、その間、常任理事国候補のライバル国のイタリア、パキスタン、メキシコなどが結束して安保理改革案つぶしにかかったからだ。
旧連合国体制のままの国連は来年創設60年、改革の正念場を迎える。日本は今年の総会で、とりあえず非常任理事国に選出される見込みだが、向こう2年間の任期は、平和憲法の理念を生かして、「人間の安全保障」という日本政府が力点をおいている視点から独自の役割を果たせることを国際社会に実証する好機だ。米国に同調してばかりいては常任理事国として鼎の軽重を問われよう。日本外交が対米追随を脱却できるかどうかの試金石となることを銘記すべきだ。
【毎日新聞2004年10月3日付「発言席」】