2008年11月16日
米国主導のIMF(国際通貨基金)改革は至難の業
2008年11月15日、ワシントンで開催されていた「金融サミット」(G20)は、世界金融危機克服のための財政支援、IMF(国際通貨基金)の機能強化などで合意して閉幕したが、IMF改革は、国連改革と同様に、簡単に実現するものではない。
G20参加の新興国首脳は、米国主導のIMFを、新興国の意向を反映させることのできる機構に改革すべきであると主張、日本も同調したが、緊急融資のための資金の増大は容易でも、加盟国の市場の監視、金融機関の監督・規制の強化に市場原理重視の米国が賛同する筈はなく、合意成立の見通しは乏しい。
第2次大戦末期の1944年7月、米東部のニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで連合国金融当局首脳がIMFと世界銀行〔世銀〕創設を決めた時は、米国が圧倒的な実力を備えており、規約も人事もすべて米国主導で決まった経緯がある。その後、国連の専門機関となり、加盟国も185カ国となり、数の上では途上国が圧倒的多数を占めるに至ったが、意思決定における米欧先進国主導の構造は2機関とも変わっていない。
創設以来、世銀のトップ(総裁)は一貫して米国人が占め、IMFのトップ(専務理事)はすべて西欧諸国の持ち回りという不文律がある。さらに総務会・理事会の意思決定は1国1票ではなく、経済力に応じて割り当てられる出資率を反映した「投票権数」で下され、重要事項には85%の多数の賛成を必要とする。米国は1国だけで17.16%の投票権を保持しており、事実上の「拒否権」をもつ。国連安保理以上に、米国が賛成しない案件は絶対に通らない仕組みになっている。(日本は2位だが、比率は6.02%)
IMFは、1969年にSDR(特別引出権)を創設、雄姿の枠が拡大されたが、合意から発効までには9年の歳月を要した。また71年のニクソン・ショックのあとのスミソニアン協定を経て、固定為替相場から変動相場制への移行に伴う改革実現には7年の歳月を要している。改革は一朝一夕には実現しない。
今回の危機は米国発の”金融ツナミ”と呼ばれているが、たとえオバマ政権になっても、創設以来保持してきた既得権を容易に手放すことはないだろう。IMF・世銀ともに、本部事務局はワシントンのホワイトハウスのすぐ隣りにある。